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映画 blank 13

人間はさまざまな顔を持つものだ。

斎藤工の初監督作品。
俳優としては遅咲きだった彼のちょっと内面を垣間見たような気がした。

親子の関係ほど、特にその子供の人格形成に影響するものは無い…と思う。ただ“血が繋がっている”というだけで陰にも日向にもなるのだから。
“自己肯定感”を奪われる場合と、与えて貰えない危うさが常について回る。
苗木と太陽と水の関係のように、その根っこに養分を蓄えることが出来たなら…。

最近では毒親というワードがまるで流行りのように使われるようになったが、それだけ親という存在は厄介なものなんだと思う。わたしが人生の中でもどちらかといえば陰の部分を引きずっているのも、やはり自分の生い立ちによるものが大きい。子供時代を子供らしく過ごせたか?否か?で、こんなにも複雑で生きづらい目で世の中を見なくてはならない哀しみを、分かって貰えることなんて無いだろう。正直分かって貰いたいとも思えないのだ。よく『貴方より、もっと辛い思い、悲しい思いをしている人が居るんだから』と、もっと広い世界を見るべきだという意味不明な根拠がない正義感で、こう言って来る人は本当の絶望を知らない人だ。その人の真意は、ただ黙らせたいだけ。わたしは自分自身の悲しみを自分で受け止めようとしてるだけで、その他大勢の悲しみを理解出来る訳じゃあ無いと思っている。人間は自分の経験したものの中でしか生きることの実感を持つことが出来ない生き物だから。

自分のかなしみは自分でまるごと味わっていいもの。
誰にも後ろ指さされる理由はない。

駄目な父親の役を演じたら、リリーフランキーほどはまり役は居ないなぁ…と感じる。
やはりリリーさんは、生い立ちから孤独と愛情の両面を上手く表現を出来る人なんだと思う。
アウトローの曖昧さの中のどうしようもならない人間味と矛盾。
厄介だ。

わたしの父親も厄介だった。母を亡くして、しっかりと娘を育てる【父親】をやってくれたならば…いや、やめておく。伴侶を喪った悲しみ苦しみから、結局は逃れることが出来ないままにこの世を去って逝った。
男は弱いものでもある…此れは父から学んだひとつなのかも知れない。

劇中に戻る。
古くボロいアパートの一室で、夫婦と息子2人で暮らしている。ギリギリな暮らしだろう様子の中で、粗末なカレーで夕飯を食べている。
働かずギャンブルばかりしては酒とタバコの日々に明け暮れている父親が、借金取りの怒号に耐え切れ無くなったのか、無表情のまま、「ちょっとタバコを買いに行く」と言い残し家出、そのまま行方不明になった。

13年後、その父親が末期ガンで余命宣告をされていると家族に連絡が。微妙な反応をする母親と息子。当然、「会わない」選択をする。次男だけは父親に会いに病院を訪ねる。

窓ぎわのベッドに横たわる父親との再会。お互いに見つめる瞳には親子の関係が良く現れていた。
13年だ…これを長いか短いかでは語れない。干支ならひと回りしてるし、赤ちゃんならば中学生になってるのだから。

また微妙な感じで親子の再会は終わり、
しばらくして父親は亡くなる。

同日に同性の葬儀があり、間違えて受付に訪れる人達を立派な葬儀会場に案内する場面も現代の縮図のようなシーンだった。父親の葬儀は座席も疎らで、訪れる人達も生前の父親の生き方そのもののように雑多な感じに包まれている。

お経が終わり、お坊さんが折角だから…と故人とのエピソードをひとりずつお話して下さいと申し出る。「エッ?…」という間があり、
喪主の長男(斎藤工)と次男(高橋一生)はまた居心地悪そうに顔を曇らせる。

ここからが怒涛の流れになる。

雑多な父親の知り合いが話す内容は、“カオス”そのもの。
「どうせ、ダメ親父のダメな部分を更に聞くだけ…」そう思っていた。登場人物と共に。

家族にとっては甲斐性無しの自分達を捨てて、自由で無責任な人生を送っていたに違いない父親が、血の繋がりもない他人にとってはあたたかい愛情に満ちた人だった…ことを知る。「最期まで勝手な奴だ」そんな表情で長男は混乱して取り乱し、その場を離れる。

人間という生き物は、罪深い。そんなリリーさん演じる父親が生前にカラオケで歌っていた曲は【つぐない】だと言うのだからシュール過ぎる。

子供を女独りで育てた苦渋の割合が多過ぎた結婚生活で、人生の苦味を存分に味わい尽くした母親は、葬儀会場には行かなかった。
公園のベンチに座って、野球少年達の練習の喧騒の中、静かにタバコを吸っている…喪服姿で…

次男は、子供の頃に書いたクラスで賞を取った作文を、父親が大切に持っていて知人に自慢していた事実を知る。
そのシーンが忘れられない。
不器用ながらも愛されていたことを知った人間の遅ればせながらも救いをみた瞬間を。こんな顔になるのか。

次男は父親を反面教師として、良い父親になれるはずだ。

余談ですが、子供の頃に観たちょっと怖いドラマで、【黄泉交通】と言うタクシーに乗るお話を思い出した。当時は子供だったから怖くて面白くて仕方がなかったけれど…

その【黄泉交通】に乗って、あの世からわたしに逢いに来いと思う。今ならば、お茶くらい煎れてあげるし、
『アレ?どの面下げて?』とチラッと一瞥しながら、
自宅に迎えてあげられるから。なんてね☺︎


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