死ぬかと思った…2
約3年間、通院しながら、投薬治療を受けた。
(寛解して5年経った)
父の死からの、発病だと思い込んでいたが、
母の死の時まで、記憶を遡ってみた。
私が幼稚園に入園して暫くの頃。
いつも明るく、元気な母が、
『最近、疲れと倦怠感が続く』と検査の為、
大学病院に受診する為に、一緒について行った。
母は運転出来ないから、タクシーに乗った。
タクシーに乗るのが何故か好きだった私は、
大興奮だった。
後部座席の窓から、流れる景色を、
気分良く眺めていた。
病院の売店で、ジェリービーンズを買ってもらい、
母の診察室の向かいの、広い待合ロビーの隅に座って
、色彩りどりの、ジェリービーンズをソファに並べて、摘みながら、静かに待っていた。
(カロリーヌとゆかいな8ひきシリーズの本も)
どれくらいの時間が経ったのだろう。
陽は傾いて、夕暮れ。
気づいたら、母が横に立っていた。
『◯◯、お母さんね…入院することになったの…』
私には分からなかった…
病名は、急性骨髄性白血病。
祖母や叔母や父に、余命宣告もされたそうだ。
当時は不治の病だったから仕方ない…
母には、告知はしなかった。(30年以上も前です)
抗ガン剤による副作用の苦しみ。
髪が無くなる。
高熱が続く。
食欲の減退。
底のない倦怠感。
肺炎などの合併症のリスクの為、
子供の私は、滅多に病室には
入れてもらえなかった。
会えた時は、カツラ姿(気がついて無かった)
いつもの明るい笑顔だった。
偶然、髪の無くなった頭を目撃してしまった時、
『お母さん、先生の言うこと聞かなかったから、
坊主になっちゃったのよ〜』と笑った。
いまでも、母が恋しい。
母は余命宣告よりも、一年以上も生き抜いた。
母の通夜、葬儀の日。
亡くなった人に掛けられる「白い布」
母の白い肌に、「白い布」
その日の光景を、5才の私は、忘れていない。
葬儀の時、父の泣き叫ぶ声に驚いて…
驚いて、私も、大声で泣き出した。
(亡き祖母が、生前に話していた。私が泣いたのは、
その一回きりだった…と)
「白い布」は、私に「死」の
記憶を突きつけていた…
美容院のシャンプー台で、顔に掛けられる布の恐怖は、母の死、此処からだった…
自分の潜在意識が教えてくれた、苦しい痛み。
それが、父の死によって、表に現れただけだった。
(母の日記の一部)母は生きようとしていた。
掴む勇気も無く、蓋をしなければ、
前に進むことが出来なかった、
自分の生きて来た道に、哀しみを、
そして、人間の脳の不思議を思う。
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