思考ばらばら。
家族が寝静まる深夜、書き物をしながら音楽を聴いて、パリに初めて訪れた記憶を思い出す。ある工房を見学に行ったシーンまで割と鮮明に覚えている。ジャケットを気に入り、滞在時間ギリギリまで悩んで、結局購入しなかったこととか。結局は必要無いから、縁も無かったということなんだろうとは思うけど…物も人も縁。もし、もうひとつを選択していたら?とか振り返りが増えるのは、歳を重ねた証でもあるのでしょう。
有給休暇は使うから意味がある。メモに記す。忙しいは、こころをなくすと書く。夫が誕生日に休みを取った。子供も学校で、そのまま週末も挟んでしまえば、のんびりと一緒に過ごせる。子供が留守番出来る年齢に成長したことも知る。何れまたふたりに戻る日も近い。その時に、「すっからかんで何も無いね」にならない様、日々をしっかりと穏やかに謙虚に積み重ねたいと思う。自分以外の人と暮らすことは容易くない面もあるけれど、それでも出会い、縁のある人を伴侶として一緒に暮らすことを選択した。受け入れて受け入れられる認め合う感覚、それは"愛"なのだと思う。いままでの育児の十数年、子供も現在は自分のことは自分で出来るようになったとはいえ、これから先は、手を変え品を替えの手間が掛かる。基本に忠実に、一方的に押し付けず、手を出す機会を減らして、両目で見守り、時期が来たなら、そっと離れよう。こんな感情をしみじみと思い返すなんて予想もしなかった。親が、今聞いたなら得意げな表情で説教されそうで、瞬間的に拒絶してしまう自分。まあるく角も取れて冷静な対応をする自分。
思考回路って面白いけど、最近では生死すら分断することは出来ない気がしている。体は消えても、その意識は浮遊しながらふわりと漂う。直接に触れることが出来なくても、その存在は普遍的。
思考は自由、全て循環されて流れ去る時まで。
世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう
犬(猫)と飼い主が見つめ合うと、オキシトシン(母性本能)が脳内で溢れて、お互いに幸せ感が増すんだそう。確かにチワワと見つめ合うとお互いに心地良い。わたしはこの話を聞いて、まず最初の感想は「動物って凄い」と思った。人と暮らすだけでも大変で忍耐も必要なのに、更に無償の愛情まで与えてくれるのだから、やはり、人間より動物を優先して癒してあげるのが役割。ビスコを人間のおばあちゃん並みに、もっと大切にする。
あの世界とこの世界
重なりあったところに
たったひとつのものが
あるんだ
まとめようとせずに、散らばって、ばらばらもいい。
星野源さんの「ばらばら」の歌詞が妙に響く。
思考の「ばらばら」も楽しむ。