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2023 0813 大分に里帰り
盆休みが取れたので、父方の実家のある大分県に行くことにした。
祖母が亡くなったとき以来なのでもう10年以上になる。
家は現地の親戚が管理してくれているものの、住む者もいないためかなり傷んでおり、寝泊まりができる状態ではないと聞いていた。
ホテルとフェリーの予約を取って準備を整えた。
表向きの用事は墓参りだが、真の目的は新装備OM-1の慣らしだ。
せっかく買ったのに普段の暮らしでなかなか出番がないので、どこか旅行に出てみようというわけだ。
カメラバッグはEnduranceだが、OM-1を出してからは結局ほとんど車に置きっぱなしだった。なんせ暑いので担いでいられない。


8/13(日)0時出発、高松自動車道 府中湖ICから高速道路に入る。
日産ノート、プロパイロットでのクルーズコントロールは実に快適だ。
前方車との車間距離を3段階から選択し(最長で80m程度)、最大時速を設定すれば、前方車のいない状態なら設定時速をキープ、前方車のいる場合は車間距離を保った上で可能な限り加速を維持してくれる。
白線を検知してハンドル支援もしてくれるのでレーンからはみ出すこともなく、運転者はハンドルに手を添えるだけでアクセルペダルから完全に足を離して運転できる。
追い越し時にはウィンカー点灯でハンドル操作が手元に戻り、レーン移動後には再びハンドル支援がONになる。
面白いのは設定時速を登り坂でも維持しようとすることで、他の車が登り坂で多少減速するところを設定時速のままグイグイ追い越していくのだ。
みんな「なんであのノート登り坂で追い越し掛けてんだバカか」って見てると思う。
当然その分余分にエネルギーを消費することにはなるのだが、e-powerの回生ブレーキで余剰分を随時バッテリーに回収してくれるので燃料の収支は割と浮く。
PAに寄り道もせず2時過ぎには愛媛県の伊予ICで下道に出た。

伊予ICから海岸沿いの夕やけこやけラインを通って八幡浜港を目指す。
予約したフェリーは八幡浜港0550出港。
出港1時間前に到着としても2時間は余裕がある。
夕やけこやけラインは名前の通り、夕刻であれば沈む夕日を追いつつワインディングロードを楽しめるはずなのだが、真夜中に走ると当然右手側が真っ暗で恐ろしくさえある。


ついでで寄った有名駅「下灘駅」もこの通りで、ホームの看板の向こうに黒い海原が広がっていた。こんな時間に来るのが間違っているし、俺もこんな時間に何かがあるとも思っていない。近隣住民の邪魔でしかないのですぐに出ようとしたら、若いカップルが車でやってきて「ここって停めて大丈夫ですか?」などと訊いてきた。俺も素直に明るく「わかりません!」と返答。少なくとも日中なら停めてよい場所ではないはずだ。
ひたすら西に走り八幡浜港を目指す。標識のとおりに進んでいったら新しい長いトンネルバイパスに入ってしまう。ナビが知らない新道だ。このままだと八幡浜港を通り過ぎて宇和島の方へ行ってしまうので、トンネルの出口から引き返して本来の道へ。午前4時には八幡浜港へ到着した。


八幡浜港は祖母の葬式の時以来なので10年余ぶり。施設が全く新しいものになっていた。車を並べて切符を買い、しばらくOM-1を連れて夜明けの八幡浜港を撮る。
宇和島運輸フェリーは豊後水道を渡って愛媛県と大分県を往復する。この八幡浜港から別府港行きと臼杵港行きの2航路を持っている。



早めに着いたので車は1列目の8台目に停めることができた。0520頃から乗船が始まると聞いていたのでちゃんと車へ戻ってきたのだが、俺の前に止めているスイフトスポーツの運転手が車に戻ってきていない。6台目まで乗船して2列目が乗船開始、スイスポ野郎は戻ってこず2列目が掃けたあとに横へ出て乗船。フェリーあるある。下船時に車両甲板を見ると結局スイスポ野郎は一番最後に乗船していた。
0550定刻通りに臼杵港行きフェリー「おおいた」出港。
船旅の最大の利点は移動しつつも横になって眠れることである。時間に余裕があるなら断然船だ。四角い枕で2時間ぷかぷか。小さい頃から家族で盆正月にフェリーに乗っていたので船酔いとは縁がない。高校時代の修学旅行が韓国済州島~釜山3泊4日フェリー旅だったのだが、周りがみんな船酔いで死んでる中で俺だけ平気な顔をしていた。

0815定刻通りに臼杵港着、懐かしい臼杵の街並であるが当時は親の車に載せられていたので自分で走ったことがない。まあ臼杵は東に海があるのでそれさえ見ていれば間違わない。
まず涼しいうちに主目的である墓参りに行く。父の実家は臼杵の街から北の外れにある佐志生(さしう)という地域である。もう少し北へ行くと関サバでおなじみの佐賀関(さがのせき)がある。南には造船所で知られる下ノ江(したのえ)という地域があり、昔は佐志生から臼杵の街へ行くのに下ノ江を通っていた。海岸沿いの細い曲道を対向車を避けつつ行くので時間がかかって不便していたのだが、山をぶち抜いたバイパスができて格段に便利になった。その結果、臼杵で仕事するなら佐志生に住む必要なくねえ?となってしまい、ストロー現象で佐志生は定住者が減り今や商店もほとんどない限界集落となってしまったのだ。
佐志生に来てしまうともうほとんど買い物もできない。蝋燭と線香は持ってきたが、ライターがないことを寸前で思い出して手前のコンビニで購入。
もう手入れする人も減ったのだろう、荒れたみかん畑を抜けて共同墓地へ。昔はここいらの山に祖父母のみかん畑があり、その奥に当家の墓があった。墓参りには不便で年寄りには危ないということで、道路沿いに共同墓地が建てられたのだ。

父から預かった鍵を使い当家の墓と対面。共同墓地はすべて埋まってはいないが、新しい家の墓が建つとは考え難い。
ペットボトルからで申し訳ないが香川から持ってきた水で潤ってもらう。手入れと始末が大変なので生の仏花は使えず造花になっていた。
背後の山にJR日豊本線が通っている。佐志生駅と幸崎駅の間で、鈍行と特急が1回ずつ通っていった。
蝋燭と線香が燃え尽きるまで祖父母のことを思い出していると、一気に気温が上がって灼熱の様相を呈し始めた。墓地の鍵を掛けて実家へ向かう。
実家周辺は古い土地なので、軽トラでもどうだかという狭い道になっている。昔、父はその道をパジェロで一番奥まで入っていったものだが、俺にはそんなことできないし、いまや家に誰もいないのだからそこまで車を入れる必要がない。
佐志生の海岸には駐車場ができており、盆の時期は500円払えば駐車できる。一時車を預けて実家を見に行く。
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


このように、住む者がいないと家はすぐに傷んで住めなくなる。
維持管理も大変なのでいずれ解体しなければならないのだが、両親が解体の援助を求めて臼杵市へ相談に行くと、まだ外観がきれいなので援助はできないと言われたとか。おそらく同じような空き家案件が他にも無数にあり、建物の朽ち具合で順番を決めているのだろう。
勝手口から覗いてはみたが、それ以上何もしようがないので閉じる。
近所に天神さんが祀られている。このあたりでは神様→カミサマ→「カンサマ」と呼ばれていた。
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
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海沿いの道にかつては商店が立ち並んでいたが、今はもう一軒だけ。
ここはかつて営業していた「庄司万五郎商店」、通称まんごろーみせ。
店主が市議会議員の選挙活動していて、「しょーじまんごろーでございます!」などと小さい頃の俺が真似していたと親から聞いている。
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いつかまた来ることもあるのだろうが、俺が生まれ育った土地ではないし、父はあの家をどうするのか、墓をどうするのかはっきりとは言わない。
父自身も帰る処ではないと思っているようで、墓参りはするけれどもそこへ入るつもりはあるのかどうかわからない。残された時間はそれほど多くはないように思う。
10時半頃に佐志生を後にする。つづく。