写真絵集『泥ドロップス』発売。
2024年5月26日、写真絵集『泥ドロップス』がKindleで発売する事が決まりました。
新宿と石垣島で撮った約3000枚の写真からを54枚を厳選し描き下ろしたライブドローイングの絵を26点惜しみなく使っている。
『泥ドロップス』は視覚から、感覚で意識を飛ばして頂きたい。
noteでは『泥ドロップス』の私の手を取って欲しい、私が10代の青春を過ごした温かく寂しい新宿と、30代で飛び込んだ雄大で大切な事を教えてくれる石垣島はいつでも貴方を待っている。
泥になる事。
汚れるのは嫌だ、汚れた者は選ばれない。
多少安くなっていれば食えると買われるも長くは愛されない。明日にはごみ箱行き。
そんな表面的な選別を毎秒繰り返す社会というヌーの群れが。
君の内面を見ているよ、歯車が合わなければ「普通」じゃない。「普通」って誰が作った言葉なのかお前じゃないのか。「普通族」の「普通」のジャッジがずっと刺さって作り笑いをしていると「自分らしく、個性的に」と表面の皮を剥いで中を覗いて「きも」っと立ち去っていく新宿駅のコンコースの中で無になろうとずっと動けないで立っている。消えないからただ死のうと思った。
キャスターマイルド3ミリソフトをください。携帯灰皿はヴィヴィアンの20年物。
その者ピアスと刺青を纏いて新宿の呑に降り立つべし、新宿の住民はネズミだけだった。桜の花びらが散れば花園神社の大階段で寝ている、眠らない街は朝5時には眠っている、嘘つきだ。
15cmの厚底ブーツ武装戦線泥の中で気高く見せようと生きてきたのが私だ。
それも嘘つきだ、本当は好奇心と恐れの中で生きてきた。ライブハウスに入り浸り朝まで友達と遊ぶ。泥になるのは怖かった。
中学2年の時に魔法のiらんどで自分のサイトを作った、ネットと共に自分の自我は存在すると錯覚しているから暴言を吐いたことがない。中学1年の時2ちゃんねるで半年ロムってろと言われ半年本当にロムっていた子だ。
自殺サイトに迷い込み「死にたい人がいたら私が話を聞きます!」と趣旨に反して聖人、嘘つきではなかった純粋に純粋に生きてきたネット黎明期。
この人は現実ではどんな子なのか、あら見た目怖い!に反して変な喋り方。マイペース、ギャップ、天然そんな名前がつく時点で「普通」から落ちた。分かってたから優しく触れた。
阿鼻地獄、泥で顔を洗う、生まれた時からそうだった、発達障害の診断が出た時先生に「生きるのが辛かったでしょう」と言われた。どうやら辛かったらしい。笑っちゃうよね。楽しかったよ。両手の手のひらで汲んだ清水が泥だと気づいた時私は冷たい大雨の降る小さな公園でうつ伏せに寝転んで泣いた。
コーヒー牛乳なんだよ、幼稚園の私が色水でお花を使わず泥水で遊んでいる。お団子もあるからいっぱい食べてね、全部泥で出来ていた。綺麗だなって思ってたのは全部泥の中だった。
私が絵を描くきっかけになったのはアニメであり漫画であり、上手だと褒められる事が何より嬉しかった。母は世界の中心にいた。
これは2022年の7月に書いた散文である。
「破れたたましい」
私は絵を描くのが大好きな子供です
ある日お母さんに
絵が描けたので褒めて欲しくて見せました
お母さんは言いました
「人間の目はこんなに大きくないし鼻は尖ってない」
目の前でビリビリと音を立てて破かれた絵を見てました
私は破れた絵を拾いながら
泣きもせず
何も発さず
やっぱりゴミ箱に私のたましいを捨てました
あれから私のたましいはずっと
ゴミ処理場の臓物と一緒くたになって
腐ってるのかと思うと
今の私はどんな犠牲を払ってでも
見つけてあげたい気持ちが抑えられず
今日も絵を描き続けているのです
私は泥の中で溶解を繰り返して今日も絵を描き続ける。
ドロップスの気持ち。
下校時に道端に落ちているプラスティックのカケラを拾ってポケットに入れる。
埃舞う玄関に「ただいま」を言い、すぐさま自分の部屋の勉強机の、鍵付きの引き出しを開ける。そこには色取り取りの透き通ったプラスティックやガラスが無造作に輝いていた。西陽の窓がそうさせたんだ。
それを一人で眺めるのが好きだった。小さな小さな箱庭、引き出しの木の厚みを感じながら開けると私の宝物があった。
よく「家出をします」と宣言し家出をした。
お母さんが作ってくれた手提げ鞄にぬいぐるみと漫画とノートと鉛筆と消しゴムを入れた、手提げ袋は半分も埋まらなかった。自分の持ち物はこれだけしかないのだと思ったのを今でも覚えている。
アパートの一室、引越しの荷造りがキツイ、洋服はここ、漫画はここ、画材はここ、もらった物はここ、場所をかえるのに何日かかるんだろう、見積もりは18万円で。ちょっと高い。
引き継ぎよろしくね、明後日は18時に新宿でご飯食べよ、素材もうちょっと必要かもです、今月は指名本数30を目指そう!明日は10時にスタジオだから。
新宿アルタの横の三井住友銀行前で酔い潰れた友人を介抱する、夏の日差しで焼けた映画みたいに出勤する人々には私たちは見えない。透明人間もこんな気持ちかもしれないと思うと少し寂しい。
ポカリスエットを買ってきて寝ている友達の顔面に押し付ける、介抱終わり。
横に座って悪人にメンチ切る。番犬ごっこ、自分のガラケーに付けている大量のストラップが絡まっている、思考的やる事がないので一つ一つ解いていく。一つ一つ思い出を読む。
私はこの気持ちを覚えている、そういえばあの引き出しの宝物はどこに行ったんだっけ?捨てたんだっけ捨てられたんだっけ誰も覚えていない物語。
早足で駆けていくあのフォーマルスーツを着た人はそれを知っているのかな、少し寝よう。友達の横に寝っ転がって友達が首からかけていたゲロまみれのタオルを引き剥がし自分の顔にかける、眩しいから。瞼を貫通するオーロラフィルムに包まれて私は引き出しの中の箱庭を覗いてみた。
太陽に近くて宇宙に遠い場所、30歳を越えて私は自分の命だけを片手にこの島に来た。大人の何もなくなってしまったは膝下の宙ぶらりんを軽く飛ぶ。
友達の船の上で空の大きさを知る。子供の時の青空はゲームボーイの中だったから私は星空の下にいる宇宙と流れる星にストロボライトを当てて叫ぶ、どこにいてもカラオケ屋さんにいるのは面白い繋がっているから。親友は優しき心の小さな島の中、私は良く泣いていたのは本当にあの長い髪が好きだったから、朝まで話を聞いてくれる親友は大きな夢の中で歌っている。泣きながら海に浮かぶ満月を見ているどんな月よりも綺麗でも時間は決して止まらなかった、入院して死ぬと思ったと倒れそうに退院手続きの請求を聞くと18万だった、映画を見て人生のエンドクレジットは結構増えた夏の風と於茂登岳からの換気扇、下のお墓でうーとーとー賑やかな歌を子守唄に。怒られて暇を消化して後ろをついてく。薄まってしまうから一人で歩く海の風呂の中珊瑚の城を見た、だからもう死にたくない、死にたくないから戦っている、復讐なんかじゃない生きたいから、あの時の光はそう言っている、思い出した事がある。
私は友達のライブを見に行く、私は朝までくだらない事で笑っている。私はもらった自転車で移動している。私は友達の家の夕ご飯に呼ばれている。私は絵を描いている。増えたのは色取り取りの気持ちそれを映す、鏡があれば自分。
石垣の生活は私の人生を凝縮したような日々で、常に隣にあって気付かない大切なことを教えてくれる。一生の宝物は自分の中で生きている。
また今度はないから明日の為に一生懸命愛する。
次は2022年7月に書いた散文である。
「東経124度」
引っ込み思案の少女の涙も
この島では干上がってしまう
於茂登岳に住む女神様が
細い右手を空に掲げると大粒の海水が降った
少女は涙が知らぬ幸福と知る
この島は母なのだ
『泥ドロップス』について。
かいさんから「ようたさん撮りたいです!」とお話を頂いたのは2023年の5月14日だった。うちは「うちで良ければ是非」と返した。
写真を撮る撮られるは戦いだ、先制をしつつ相手の動きに合わせ出された無茶な大喜利に全て応える。
うちはライブドローイングという手法で絵を描いている。画材はペンのみ、いつでもどこにでも描ける事が好きだ、芸術は生活の身近にあって欲しい。
その場所と空気感、周りから聞こえてくる音やお客様との会話を反映して絵を綴っていく。ある日絵を描くとは誰かの人生のどろぼうをしていると思った。
全てを振り絞る、今ある生命をペンに乗せる、絵は常に対人でお客様で自分である限り本当に全てを差し出す覚悟で描いている。それがみっともなくても。
表現の中に絵を描く事があり、モデルを務める事がある、形が違うだけでどれも私なのだ。そして頂いたものは返していかなくてはいけない。
過去のnoteでは、撮影地の新宿と石垣島で生活していて思った事や体験記を沢山書いた、この写真と絵の裏側にはこういう過去が考えが積み上がって出来ていると暇な時に読んで頂ければと思います。
久喜ようたとかいの溶解の先はどんな作品になるのか、気が早いですが次の東京編は撮り終えていて、47都道府県全てで写真を撮りその土地で絵を描こうと思っています。
第一弾『泥ドロップス』2024年5月26日Kindleで発売です。
写真絵集『泥ドロップス』
発売日:2024年5月26日
著者:久喜ようた・かい
発売:Amazon Kindle版 価格:3,000円(税込)
発行元:マカロ舎
美しい彼の姿より私を貫いたのは、その所作でした。
なりたいように在ろうとする彼の手に現れた、無目的性と無関心性。「自分の性自認はどちらでもありません。女性でもなく男性でもなく自分を『久喜ようた』として、一人の人間として見てもらえるように日々邁進し今は生きております。」
画家として、モデルとしての、物書きとしての、アーティスト「久喜ようた」の表側。
そしてふかく社会構造に失望し、決然と性別を捨て去り、強烈な生き方を選択した人間「久喜ようた」の裏側。異物と迎合しても、完全には同化できない、まだらな孤独を湛えた「泥」
一つの世界の中で、たくさんの貴い光が踊り、時に砕き砕かれながら共鳴する「ドロップス」
蒙昧とした、美しい久喜ようたの輪郭を掴むために、東京・石垣の地を踏み抜き撮影した54枚の写真と26枚の絵を収録。
久喜ようたの中に現れた「泥」と「ドロップス」をなぞる、身体と絵の総集編、第一弾。
【著者】久喜ようた かい
【撮影地】新宿、石垣島
【モデル・絵】久喜ようた
【装丁】久喜ようた
【撮影・構成】かい
【発行人】赤天井
【著者略歴】
久喜ようた
東京都中野区在住、画家、モデル。
性自認はノンバイナリージェンダー、性別適合手術をし戸籍を男性に変更する。
発達障害自閉スペクトラム症(ASD)。 自分の性自認と発達障害に幼少期から世間との違和感を持ちながら二元論に捉われない絵を描く。 2020年からキューピー人形に360°細密画で描き込む作品を作り始める。 2022年その場でライブドローイングをするスタイルを確立し、ペンのみでメディウムと場所と時間を選ばない流動的で瞬間を捉えるライブドローイングで「日常の瞬間を記録する」「アートは敷居が高いという考えをなくしアートをもっと身近に」をテーマに色んな土地に滞在し創作活動をし続けている。
2022年 詩画集「石垣島、夢を見る島の真裏で。」(社会評論社)
2023年エッセイ「豚の慟哭」(TRASH BOOKS)
かい
東京都渋⾕区在住、⽩塗モデル、カメラマン、 ネオンサイン作家。
酒呑み、煙草呑み、健康体。⽥舎を憎み上京、 虚構と現実の間で⽩塗りをする。 ストリップとパイナップルが⼤好き。
2015年4⽉ 個展「四隅の落⽇」
2021年11⽉ 公募展「⾼円寺秘宝館」
2023年2⽉ 個展「巨いなる者」
2023年11⽉ 公募展「⾼円寺秘宝館」
日本以外のAmazonでも販売いたします。
石垣島で描いた絵をまとめた詩画集とエッセイも発売中ですので併せてどうぞ。
それではまた来週にお会いしましょう。
久喜ようた