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信頼は与えられるもの

今日のデイリーは ①#2 The Priestess ②Swords 8 ③Cups 4でした。
ここで浮かんだのはダートの学びです。

前回の投稿からまもなく偏頭痛がつづいています。瞑想を通して持ち直すこともあるのですが、今回は手強いです。
頭痛のなかで、自分の中の信頼の輪郭がぼんやりしてきていると思いました。
手に握っているかのように実感のあった信頼。②のSwords 8はダートの悪徳のひとつである未来への疑惑と感じました。
疑惑が起こると、惰性が出てくるように感じました、③のCups 4です。

この疑惑から信頼へと立ち返るには、イシスの旅に出ることしかありません。
学びへ心を向け続けることです。
最近見たあるドキュメンタリーを機に思う、民族の意識のこととも繋がりました。
国家も支配者にもよらない、民によって立つということがどうして重要なのか。人間という存在の原点が、天と地、創造主と人間との関係性にあること。宇宙的秩序によって成り立つ主従関係…。
私は大宇宙の民のひとりとして生きていくこと。それを求める歩みが、イシスの探索でもあると感じました。

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#2 The Priestess の視覚化瞑想訓練より

瞑想に入る前、疑惑には何があるのか探ってみると、こんな声として浮かんできた。
「おまえなんかやってる気になってるだけだよ」
「おまえなんかがタロットの霊につながれると思ってるのか?(バカじゃないのか?)」

私自身にはなんの資格もなく、なんの確証もないけれど、最近、私の魂は、大宇宙の中の民として生きるよう放流されているつもりでいた。
私の魂はすっかりそのつもりになって生きていて、それでいいと思っていた。
疑惑が入ってくると、その自由な思いが見えなくなることを自覚した。
この声を認識したとき、それがとてもよくわかった。

そのとき私はバカでいいと思った。
なんの確証もないなら、魂の求める方に行きたい。その気になっていればいい。
"バカで結構です。バカに賭けます" と宣言するように思い、瞑想に入った。

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火の国のLustにて、ヌイトより言葉をいただく。
「自分の声でなく 霊の声を聴きなさい」
疑惑は自分の声なのだと思った。少なくともタロットの霊の声ではない。

#2 The Priestess に入る。
イシス、イシスと呼んで体験をお願いした。
最初に目に入ったのは、何重にも重なったヴェールだった。向こうがほぼ見えないほど重なっていた。
さらに砂嵐もすごくて、砂嵐なのかヴェールなのか分からないような状態だった。
* この分厚いヴェールは信頼に対する自分の疑惑と感じた。砂嵐は混乱している思考、Swords 8 の背景でもあるのかもしれない。

私は布で顔全体を覆い、口を押さえて立っていた。
近くには、果物や高価なものが並んでいたが、それらもすべて砂を被っていて、もし欲しいと思ったとしても断念するような有り様だった。
* 自分の魂が求めるものに、物質的なものはなんの役にも立たない。

巨大なヴェールに対して自分は豆粒ほどに小さく、そしてこんな状況で、希望がなかった。でも、なんの希望もないまま、なんとか歩き始めた。
* 歩き始めることができたことが、今思えば希望だった。これが自力でない働き。

絶望的な状況だったけれど、ヴェールの前までくると、とても小さな入り口のような扉が見えた。
そこには「gimel」と書いてあった。亡き先輩のことが浮かんだ。
人がしゃがんでやっと入れるような扉を開けてみると小さな部屋になっていた。
右側に小さなベッド、左側に机。
旅をする者のための休息所。イシスの旅をする者が、その前にここで一晩休み、夜が明けたら出発する。そのための場所だと、部屋が自分に示してくれた。
*机は学びを表すのでは。

この部屋は入ってきたところしか出入り口はなかった。
私は旅をしたいと思って、ここで休むことにした。ベッドに横になり目を閉じた。

気がつくと夜が明けていて、私は部屋でなく、外に立っていた。
ヴェールの向こう側に来ていた。目の前に自分と同じ大きさのイシスが立っていた。
「旅に出ますか」ときかれ、行きます、と答えた。

「ずっと終わらない旅です」とイシスは言って、ゆっくりと歩いていく。
* この学びは死を超えていくと教えてくださっているもの。永遠への旅、霊的な学びの旅。大宇宙であるタロットの霊に繋がり、そこで生きる旅。今学んでおり、この先も学んで生きたい道。イシスはその学びをイマジネーションで伝えてくれる。

前方、道の曲がり角に大きな白いものがみえた。ラクダだった。
フールは小さいラクダじゃないんだと思った。
乗りなさいとイシスに促されたが、自分は乗れるような者ではないと言うと、
「あなたはすぐ自分に戻って疑うのだから乗っていなさい
あなたのような初心者の人こそ乗っていないと」と仰った。
* 私はまた自力で進もうとしていたことに気づいた。本当の謙虚さをまだ分かっていなかった。

大きなフールのラクダに乗せてもらう。そこには姿は見えないが他にも何人も乗っている気がした。みんなこの旅へ行くのだと思った。

時間になり戻る。

メイガス(師)に訊かれた。「信頼を取り戻しましたか」
"まだ曖昧な気がします"
「信頼をつねに携えていなさい」

帰りにフールが言われた。「信頼は高いところにあります」
*ダートの象徴にある「神聖な山」を思った。#19 The Sun の高地も。

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帰りの師からの問いかけではまだ曖昧な感覚でしたが、ノートを辿りながらここで今まとめていて、信頼が感じ取れていると思えます。
信頼というのは自主的に見えながら、じつに与えられているものなのだと視覚化訓練を通じて感じました。見えなくなるのは自分や日常の小さき力に心を取られるからで、つねに携えていなさいという言葉で表現されているように、失われることはない。なぜならそれは私のものではないからなのですね。

この瞑想で出てきた小さな部屋の扉はもともとあったのではなく、八方塞がりの中にいる自分にあの扉をつけてくださったのではないか。それはディンドレインである先輩の導きのようにも感じました。タロット実存共同体という霊的な生命共同体が機能している具体的なヴィジョンとして。

視覚化訓練は訓練と言われるように、自分の願望が出てくると言われます。また今日のように自分の状態がヴェールとして表れたりイシスの言葉として指摘されたりします。
それらに劣らず最も重要なのは、そのタロットカードの世界そのものを体験し、教えてもらうことではないかと、私は思います。

信頼はいつも与えられている。そしてどんな状況であっても、かならず扉が見つけられるようにしてくださる。そこには計りしれない力が働いている。
だから自分の疑いなどに頼る必要はない。
今回、偏頭痛が先か疑惑が先かはわかりません。ただ、これが四大エレメントなのだなと思いました。ささいに見えて一番大切なものを巧みに霞ませます。

目が痛くて本が読めなくなったり、瞑想が続けられなくなったり。それ自体は私の脆弱な精神力により、だめなことは多々あります。
ただ気力が落ちると、次第にCups 4のような方向へ、易きに流れます。そのときに信頼を見失うような油断が生まれるのだと思いました。
しかしそこに気づかせてくださるのは、自力ではなくつねに向こう側なのだということが、今回よくわかりました。

分かっていたつもりですが分かっていなかった。
心から求めていれば、決して離れることはないのだと。師も先人の方々もいつも言われることの学びでした。



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