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思索の繭の中で

このところの思索はなかなか形をとるまでに至らず、断片を手がかりとしながら歩んでいます。しかしながら、その断片のひとつひとつは道しるべのようで、何度か行きつ戻りつ、反芻しつつおります。

その中で、北條民雄氏、および彼の作品とご縁をいただきました。
有名な作家であられますが、これまで読んだことがありませんでした。
少し前に多磨全生園・国立ハンセン病資料館を訪れたことが、機会を与えてくださいました。
私にとって北條さんは、大きな導き手として現れてくださったように感じます。
ここに少しお示ししたく、引かせていただきます。

「ね、尾田さん。新しい出発をしましょう。それには、先ず癩に成り切ることが必要だと思います。」
と言うのであった。便所へ連れて行ってやった男のことなど、もうすっかり忘れているらしく、それが強く尾田の心を打った。佐柄木の心には癩も病院も患者もないのであろう。この崩れかかった男の内部は、我々と全然異なった組織で出来上っているのであろうか。尾田には少しずつ佐柄木の姿が大きく見え始めるのだった。
「死に切れない、という事実の前に、僕もだんだん屈伏して行きそうです。」
と尾田が言うと、
「そうでしょう。」
と佐柄木は尾田の顔を注意深く眺め、
「でもあなたは、まだ癩に屈伏していられないでしょう。まだ大変お軽いのですし、実際に言って、癩に屈伏するのは容易じゃありませんからねえ。けれど一度は屈伏して、しっかりと癩者の眼を持たねばならないと思います。そうでなかったら、新しい勝負は始まりませんからね。」
「真剣勝負ですね。」
「そうですとも、果合はたしあいのようなものですよ。」

北條民雄 『いのちの初夜』より

かつて癩と言われ、現在はハンセン病という名で知られている伝染病。彼もこの病に罹患した人間のひとりでした。
彼の、ハンセン病と共に生きた「生命の体験」が生み出した文学作品によって、私は自分の罪への認識を、手助けいただいたように思ってます。

私はこの世界で、『罪』の患者として(あるいは死刑囚として)、決して完治しないこの『罪』を、他の人も罹っていることに安心感を抱きながら生きている側面があると気づいたのです。
さらには、人よりも軽いとすら思っていたことも、気づいてしまいました。
そして自分はもう少ししたら抜け出せる。助けが来ると。
その考えは間違っているのかもしれない。その認識を下さった気がします。

自分には "ない" と思いたいあまりに、ないはず、なくなった、と思い込んでいる数々の醜悪な性質。それらは全て『罪』を表現するもの。
うまく隠せているつもりで、丸見えなのだろう。
私という『罪』を。師、師の霊性とタロットの霊はすべてご存知でおられます。

自分はパリサイ派のような人間なのだと。
北條さんは私を、その認識に至らせてくださいました。
そう思いたくはないけれど、何か善人のふりをするのが、ものすごく巧いのだ。
きれいな心でいたいという願いは空しく、叶わない。
思い上がった心とプライド、認められたい心…それらは決して消えない。
そして、依然として「世の人」ということ。外れていない。
ドフトエフスキーのように子ども好きな、温かな心もない、冷たくて心の固い、愛のない人間なのでした。

どこまでいっても、これは変えられない。それが『罪』に捕まり、頭の先から足の先まで全身を罪に覆われている、私という存在。
たとえ症状が重症でなくても、北條さんがどこまでいっても癩者という事実から逃れられなかったのと同じ(と私には思えました)。

『罪』の場合は、その重さは絶対的な眼から見れば、何の違いも持たない。
罪に比較は存在しないから。自他がどう感じようが、「人」の尺度は無意味かつ誤りだから。
『罪』そのものに対して自身を認め、受け容れる以外にはない。

なぜ、それ以外にはないのか。
関係を回復するためではないか?
例えるならば、親と子のような。決して切ることのできない事実のようなもの。理屈の話ではなく。

瞑想のなかで、自分が水の中に浮いた油のように感じました。
『罪』でくるまれた肉の塊である自分が、なぜここにいられるのだろう?と思いました。
なぜここにいられる?繋がっていられる?
何か関係がなければ繋がることはできないのでは。それが「いのち」なのでは?
肉でない、「いのち」というなにか。

そして今日も来てくださる。会いに来てくださる。
タロットの霊が絆をくださる。タロットの霊が絆でもある。師との絆、キリストという絆…
会いに来てくださることを、ただありがたく思います。

そして、北條さんも…北條さんを通して、タロットの霊が私のところに来てくださったのではと感じているのです。

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