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生きた魚になりなさい

本日は前回の内省の続きをお休みして、今日取り組んだ#4 The Emperorの視覚化瞑想訓練について記録することにしました。

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「#4 The Emperor 太陽の父」の視覚化から:

メイガスである師に挨拶し、火の国へと向かう時「魚になりなさい」「神の魚になりなさい」と言われる。

Lustに導いていただき、#4の扉を開いて中に入る。
エンペラーに体験の学びをお願いする。
ことばと問いかけ。
「人に嫌われることは キリストに近づくこととも言える
人に嫌われたり避けられたりすることは この世界から拒絶されることと同じだから」
「なぜ人は嫌うのだと思いますか?」

"その人の中に、自分の闇、自分が見たくない自分自身が照らし出されるから"

「そうですね キリストもそうでした」

私は問いかけた。
"どうしても好きになれないなどの感情は、自分でどうにもできないですね"

エンペラーは宝珠を差し出された。
「世界は広いが 関係がある人としか摩擦は起こらない」

たしかに、関わりのない人とは摩擦…矛盾や葛藤が起こり得ない。
関係があるゆえに起こる。個人でも国でも。
人間の原罪の一側面なのではと感じた。

ここで昨夜の#1 The Magus の視覚化の一場面が浮かんだ:

メイガスに四大エレメントをどのように用いるかについて教えていただいた後、それらをカデューシャスの杖のヘビのところへ持って行って話してきなさいと言われた。

ヘビに、メイガスから話すよう言われたことを伝えると、2匹のヘビが言った。
「わたしたちは以前は葛藤していたが 今はお互いの違いを尊重するので大丈夫だ」

分かり合うというのは自分が考えていたものとは異なっていて、違いを認めるだけでいいのかと思った。
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関わるというのは、自力でするのでない。克服するとかじゃない。
傷つけあう人間の本能(神なしの関係)、そこから立ち去る。摩擦の感情に関わらない。


戻る前に師のことば「(神の)魚になりなさい」について話すと、洞察があった。

生きた魚。死んでいては釣られない。神に釣ってもらう魚。
だからヘブライ文字対応はツァダイ。
最高の技術、創造主のわざによって釣り上げていただく。
おいしい魚は生き生きしている!

人だけの人間関係は腐っているもの。それは死んでいる、または滅びゆくもの。
生き生きと、生きること。何かをすれば生きてるというんじゃなくて、何をするにも、この方向であればどんなことであれ、釣ってくださる。関わってくださる。
生き生きと泳いでいると、この世界という苦海から、釣り上げてくださる。

魚にはいろんな象徴としての意味がありますが、今日はこのように感じました。

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"なんのために" 投稿するのか?について、整理してみました。
明確なのは、検体としての記録です。アサガオの成長日記のように。
一見変化があろうとなかろうと、観察したものを記録する。

不完全で偏っている自分の探求は、砂金の採掘のほうが近いかもしれない。
大半が不純物な砂の中から、これはと思われる微量な輝きを見つけて採取する作業。
内的作業は、神がかってみたり、閉鎖的になることに警戒しなければなりません。
記録だけなら、自分のノートにあります。
公開にするのは、これらのためかもしれません。オープンに隠さずにいること。

これらと異なる側面で、おそらく最も重要なのは、見守っていてくださるタロットの霊と師の存在です。
共にこの検体を観察していてくださる。観察されることによって探索をつかむ自分の手が弛められていく。
その眼差しは私にとって唯一無二の、生命いのちの交流です。

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