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出合うということ

今月12月1日の日曜日、大阪釜ヶ崎の「あいりん総合センター」敷地内で生活する野宿者と団結小屋の住民に対する強制執行が行われました。

西成地区は2012年より行政を主導とする商業施設の建設計画がありました。
その計画のなかに、釜ヶ崎労働者の生活拠点であった「あいりん総合センター」の解体撤去が含まれていました。
釜ヶ崎の労働者、サポートの人々は幾度もの不当判決を受けながらも団結しつづけてきましたが、2020年4月には大阪府が「あいりん総合センター」敷地に対し土地明渡請求の訴訟を起こし、今年5月、地裁・高裁において判決が確定されました。

今回の撤去は、事前の告知が一切ありませんでした。
朝いちより大勢の警察が「あいりん総合センター」周辺を包囲しすべて鋼板が張られ、センターに通ずる高架下の通路もすべて封鎖されました。

予告なしの強制執行では多くの野宿者がその時間に寝床におらず荷物を持っていかれました。返してもらうには数十キロ先まで行かねばならないとのこと。

(以上は「釜ヶ崎センター開放通信」からの発信をもとに記す)

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今回の強制執行は「山谷労働者福祉会館」からの抗議の声明を通じて知った。
年末の寒い冬の時期に事前の告知なく執行する、非創造的な発想の無慈悲さ。
どうしたらそうなるんだろう?と思った時、私自身の体験が浮かんだ。

30前後だったか、少しの期間、友人とふたりで山谷での炊き出しのボランティア活動に参加していたことがある。山谷の家というブラザー修道会のところでカレー作りをする活動だった。ボランティアの日にはいつも朝、友人と最寄駅で待ち合わせして一緒に向かった。ブラザーのもとで大量の野菜を切ったりしてカレーの仕込みを手伝った。
カレーができるとブラザーについて川の近くの高台までいく。私の友人は、自転車にカレーライスを積んで運んで行くのが好きだったそう。

カレーともうひとつ、パン配りがあった。
ブラザーたちが到着すると人が集まってくる。下からつづく長い列がいくつかできる。そのどれかの列の先頭と向かい合う形で立って、一人ひとりにパンを手渡していく。
このとき私にある意識が上った。パンを手渡すとき、心の奥に引っかかるような抵抗を感じたのだった。そんな気持ちになるなんて思いもしなかった。どうぞ召し上がってくださいとどうして思えないのだろう?自己嫌悪になった。

釜ヶ崎の強制退去のことからひさしぶりに思い起こしてみて、当時の私はこころからの発動からボランティアに向かったのではなかったのだろうと思った。
あるできことに対する罪悪感が始まりだったと思う。何かしたいという衝動みたいなものがこの活動の参加に向かわせたのだった。
自分が助かりたくて飛び込んだということかと、これもまた書いていて気づいてしまった。実際、社会奉仕の入り口にも立ってない未発達な人間だった。

渡すことをしぶる意識というどす黒い内面にぶつかった体験は、無条件に分かち合うことを拒むこころ、無慈悲さが私のうちにあることを示す。
救われたかった思いも無慈悲なこころも、当時は残念ながら心からの自覚に至れなかった。したがってなぜ自分には不快な意識が生じるのか、どうしても解けなかった。今はわかる。自分がもっとましな人間だと思っていたからだった。

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私はパンを手渡す人ではなく、むしろ強制執行のできる人だったのだと思います。
一緒に生きるために助け合う、今助けが必要な状況にある人たちとの連帯の表現としてサポートするという一本の道が、まったく見えてなかったからでした。
自分を生きることしか、知らなかったからでした。

こころは育てられることによってはじめて深まり、好き嫌いをこえて他者と繋がっていこうとする精神性が芽生えます。
育てられなければ、私たちは自分の正体がわからないまま、生きながらえてしまいます。
こころは真理によって育ちます。真理は、人を通じて渡ってゆきます。
協力や連帯も真理によって実現されます。道徳によるものではありません。道徳は協力や連帯へ至る道筋、本質への理解が抜けています。だから堅苦しく平面的な印象になります。
協力や連帯の根源は宇宙的でもっとも自由な力です。

真理を知る人がいる。それがどれほどの恩恵かということは、宇宙のようにはかりしれないこと。
そのことを教えてくださる ひとり に出合えることは、生まれてきたなかでどんなことよりも幸いなこと。
その人を通じて、闇から光へ、死の地面からいのちの世界へ連れ出されるのだから。

上のようなまずしい人間より、真理とこの恩恵を賛美します。
人生に起こりうるこの出合いは、この先に続いていく確固たる希望のためであり個人のためではない。この希望だけが、私の生きる意味を証していくのだと信じます。

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