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'百の診療所より一本の用水路を'(中村哲)

先月初め、ドキュメンタリー映画『劇場版  荒野に希望の灯をともす』のリバイバル上映があると知って、観に行った。
21年間、中村哲さんの生きる姿を継続して追い続けてきた映像記録のなかから、これまで公開されてきたものに未公開映像等も加えられ、劇場版として再構成された作品。

中村哲さんの姿には、まるでキリストが写っておられた(追記:内的な意味です。宗教のことを言っているのではありません)。
「生きた伝統」という言葉の響きからは「真理の継承」が遥かな世界から重なった。谷津監督は「中村医師のことを伝えていくのが私の役割です」とおっしゃっていた。福音記者と同じだと思った。

命のこと。平和も概念でなく、地に足のついたもの、と言われる。
その人にとって何が困っているのか?診察が終わるといつも患者に、今、何に困っていますか?と訊ねられていたという。

タロットを読む場と同じものを感じた。まったく同じ。そうでなければ、意味がない。
その人の日々が変わるために寄り添えなければ、意味がない。

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家にあった中村哲さんの本を読み返しました。
映像を観たからか、前よりずっと近く感じ伝わるものがありました。

こうやって医療だの何だのときれいなことを言ってきたけれども、皆が落ち着いて生活できること。そのもとといえば、水だったわけです。自分がしたことで、あとまで引き継がれていくというのは、おそらく用水路だけで、そこに根づいて生活する人たちの命綱を握っている。これが希望でしょうね。そして、それは大きな大きな励ましでしょう。
 目標の用水路は二十数キロ、最終的に三十数キロの用水路がなくては生きていけない状態になりますと、皆、必死で補修をすると思います。日本でも江戸時代の記録を調べると、それこそ生死の際で村を挙げて、皆、用水路を保全した。残るとすれば、ほんとうにそこに生きる人たちの生活に直結する、不可欠な何かでしょうね。
 精神的には、マドラッサのように、その地域に生きる人にとっての精神的なバックボーン。これは残っていくと思います。「どうもその昔、日本人が来てつくったらしい」ということが漠然と残っていくだけでしょう。われわれも、日本のいろいろな水利施設を見て歩きましたけれども、いつ頃、誰がつくったかというのははっきりしないです。「小さいときから、そこにあるもの」という(笑)。しかし、調べてみると、慧眼なある殿様がつくったというようなことがあるわけです。
 そうやって人の名前は忘れられる。しかし、そのものは残っていく。私は組織というのは死んでいくと思います。事業が残りさえすれば、組織というのは、自爆じゃないですけれども、なくなってもいいと思いますよ。ほんとうに人の役に立つ事業が残りさえすれば。
現地の人が現在のグループを維持して営々とやっていくということは信じないけれども、それが自分たちの生活や生命に直結するものであれば、保全されるだろうと思います。

中村哲・(聞き手)澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』より

注)マドラッサというのは中村医師の言葉をお借りして説明すると、伝統的な寺子屋のような教育をする場です。一部ではタリバンを生み出すところと報道されていたこともあるようですが、実際は地域の共同体のかなめだそうです。地域自治の社会にとって、各村の争いごとの調停役にもなる、その地域に不可欠な要素がマドラッサの位置づけです。

この本の結びの言葉は、師から学び続けるタロットの向かう方向と交わっていました。
その交わりが意味する真実を、大切に大切にしていきたいと思います。

もし現地活動に何かの意義を見出すとすれば、確実に人間の実態に肉薄する何ものかであり、単なる国際協力ではなく、私たち自身の将来に益するところがあると思っている。人として最後まで守るべきものは何か、尊ぶべきものは何か、示唆するところを汲んでいただければ幸いである。

上と同じ
『劇場版  荒野に希望の灯をともす』パンフレットより

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