
未来の愛犬家たちのために今日も私は棚にせっせこぼた餅を置いていく
夢の叶い方は3つある。
一つは自分の努力で叶える「自力型成就」。
正統派の夢の叶え方だ。少し時間をかけて思い起こしてみたけれど、残念ながら私にはそのようなスペシャルな経験はなかったらしい。
二つ目は、他人によって叶えられる「他力型成就」。
家族とか師弟関係に多いやつ。例えば、オリンピアンの親御さんとかコーチとか。あと、私みたいな結婚によって「東京暮らし」の夢を叶えたケースとかも。若かりし頃の就活では、死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローに知らん顔されっぱなしだったのに、人生の後半戦に入りしおれかかってきた今、なんなくその花の都”大東京”に住んでいる。夫の仕事の都合で。
最後は社会の変化によって叶えられる「棚ぼた型成就」(とでも呼ぼう)。
法律や社会制度、風潮が変わることで、今までやりたくてもできなかったことができるようになったという経験は、劇的な変化でなければ気づかずに過ごしてしまうが、探してみると意外にあったりする。例に漏れず私にもある。
それは社会の常識が変わったことで、理想とする犬との暮らしに近づいたことだ。この素敵な棚ぼたに感謝し、私も未来の愛犬家たちのために棚にせっせこぼた餅を置いていきたいと思っている。
《私が未来のためにやっていること》
2022年2月22日(猫の日だけど)に、私は愛犬家の明るい未来のために行動を起こした。それは毎日愛犬にスキといい、SNSで犬との暮らしのすばらしさを発信し、ついでに啓蒙活動や寄付活動を行うことだ。https://www.instagram.com/wan_heart_333/
こんな小さな取り組みが、いつの日か必ず地球上の動物福祉に関する課題を人類みんなで解決するきっかけになると信じている。こう考えるようになった経緯を、これまでの人生で二度経験した犬との暮らしをもとにここに綴りたい。
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■理想の犬との暮らしは『名犬ジョリィ』から
寺尾聡の「ルビーの指輪」が大ヒットし、「ひょうきん族」や「欽どこ」、「なめねこ」など日本中が笑いやエンタメで浮かれポンチ化していた頃、小学生だった私の心をわしづかみにしたのがNHKで放映されていた『名犬ジョリィ』だった。犬好きの私は、大きくて真っ白なグレートピレニーズのジョリィとジョリィと共に過ごした少年セバスチャンの密で濃い関係性に心底憧れた。
今でも名犬ジョリィのOP(オープニング曲)とEP(エンディング曲)は楽しくなったときなどにふと口をついて出る。
とくにEPの歌詞は私が夢見てやまない理想の犬との暮らし方そのものだ。
ビスケット1枚あったら あったら
ジョリィと僕とで 半分こ
ちょっぴり悲しくなったら なったら
涙も二人で 半分こ
見知らぬ街で迷子になって
ドキドキするのも 半分こ
冷たい粉雪ふったら ふったら
毛布も二人で 半分こ
■子どもの頃に犬を飼ったけれどジョリィにはならなかった
『名犬ジョリィ』に夢中になった翌年、私は念願の犬を手に入れた。「犬がほしい」とねだり続けていた私に、父が母には内緒で、職場の同僚の家で生まれた仔犬を持ち帰ってくれたのだ。父が胸元で丸めていた新聞を広げると、生まれたての小さな柴風の仔犬がまん丸になって寝ていた。この仔犬を見た時の感動はどれだけ月日が流れても褪せることなく、まるで瞬間をスクショしてできた写真のように、いつまでも私の脳裏にピン止めされている。
たちまち犬のとりこになった私は、そのかわいさに愛情表現が苦手だったことも忘れ、いっぱいスキと言い、いっぱい撫でていっぱいキスをした。けれど私は子どもで、かわいがることの意味が分かっていなかった。中学生になると家にいる時間が減り、頭の中も部活動、定期試験、友達、恋愛など犬以外のものに占領されていった。いつしか私のジョリィへの憧れは薄れ、私にとっての「犬」は何でも半分こするパートナーではなく、束の間の休息に疲れを癒してもらうだけの“ペット”となっていた。
時が流れ部活動を引退した冬に、犬が病気になった。呼吸も辛そうな日が続き、最期は私の腕の中でもがいて死んだ。かまってあげられなかった私の中学時代の2年半。犬生にすると人の人生の3倍の月日を、ほぼ庭に繋がれた日々を過ごし、私に何を求めることもなくその生涯を終えた。腕の中で硬くなる犬の体の感触と重みは、何年経っても忘れることができずにいる。

■大人になって棚ぼたで”ジョリィ”を手に入れた
あれから40年近くが過ぎ、我が家に犬を迎えた。
愛犬は家族の一員として当たり前のように家の中を自由に動き回り、たいてい私の側にいて、夜も一緒に寝る。犬がへそ天(仰向け)で寝るなんて知らなかったし、寒い冬は暖を取りたがることも知らなかった。さすがに食べ物を半分こすることはないが、私たちはどこに行くのもたいてい一緒で、寒い夜は毛布も半分こする。私は何の苦労もなくセバスチャンになり、愛犬はジョリィになった。棚ぼたである。世の中が変わったのだ。
今はもう昔のように「犬を家に入れてもいい?」と懇願しなくてもいいし、突然病気にさせてしまうこともないくらい毎日体調を把握している。

■理想の暮らしを得た裏にある闇
犬との暮らしは子どもの成長によい影響を与えると言われている。思いやりの心を育てたり、情緒が安定したり。私の場合も然りで、随分と思春期のとがった心に寄り沿ってもらっていた。ジョリィにはならなかったけれど、私にとっては大切な存在で共に過ごした時間は貴重だった。けれど、それ以上に死の経験の辛さが残った。私のそれはペットロスというものではなく、後悔とぶつけどころの見つからない怒りだった。眠れない日々が続いた私は、楽しい高校生活を迎えるために傷んだ心をミイラのごとく包帯でぐるぐる巻きにして封印することで大人の階段を上った。
それが今、なんなくセバスチャン&ジョリィライフを手に入れたことで、当時見つからなかった怒りのぶつけどころが見えてしまった。愛犬との日常が心に巻きつけられた包帯をほどき、夢を叶えることができなかった要因を解き明かしていく。散歩をしながら蘇る過去の記憶に、ただ「ごめんね、ごめんね」と涙が溢れる。理想の犬との暮らしの始まりは、幸せなのに幸せを感じることに気が咎める日々の始まりでもあった。
■子どもの頃にセバスチャンとジョリィになれなかった理由
それはズバリ、当時の犬の飼い方にある。犬は外飼いが当たり前で、1日中外の鎖につながれていた。私の家は田舎の大きな家だったので、ご飯を与える時くらいしか様子が見えない。どんな顔しているのか、どんなふうに寝ていたのか、私は全く知らなかったし、知ろうともしていなかった。セバスチャンとジョリィの関係性に憧れたけれど、所詮『名犬ジョリー』はアニメであり、現実にはありえない、本当のところはそう思っていた。
そう、
時代(社会的、歴史的な時間の流れの中で区切られた一時期)
当時の常識(人々が当然のこととして共通に認めている意見や判断)
人々の意識(自覚、気にかけること)
それらに私の夢は阻まれたと言えるだろう。
私の母は悪い人じゃない。
だけど、親戚からプレゼントされた犬をすぐに保健所に連れていったことがある。庭につないでいた犬が野犬と交尾して産んだ子を海に捨てたことがある。
これを聞いて、母を善人と思ってくれる人がいるだろうか?
それでも当時、母を非難する人はいなかった。ましてや子どもだった私には母が間違えているとは思えず、疑うことなく世の中そういうものなんだと思うようになっていった。洗脳とも思える人々の意識。現在からみればおぞましい事実なのに、当時はそれに気付くことができない。誰も悪くない。ただ、そういう時代だったのだ。
■棚ぼた型成就には仕掛け人がいる
当然ながら社会は時間だけで変わるものではない。なんとなく変わっていたと思われる社会の風潮は、背後で尽力した人たちが必ずいる。
私が犬を欲しがったのは、当時大人気だった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」というTV番組の影響もある。私だけでなく社会全体に空前のペットブームが到来していた。数年前に読んだムツゴロウさんの著書の中に「室内飼いが主流の西洋の生活スタイルを日本に普及させるために室内で飼う様子を映像という形で積極的にお茶の間に見せるように仕向けた」という内容のことが書かれてあり、ムツゴロウさんが室内飼いの仕掛け人だったことを知った。ムツゴロウさんを「変人」や「破天荒」と面白がる人もいたが、ムツゴロウさんの仕掛けは、じわりじわり、そして確実に社会に浸透していき、今がある。
ローマは1日にしてならず。社会も1日で変わることはない。ムツゴロウさんの仕掛けだけが世の中の常識を一変させたわけではない。ムツゴロウさんは動物研究家として常に人と動物の関り方を体当たりで発信していた。一時の流行として終わることのないよう、人々の意識の奥底に定着させるよう、それが正しいと信じることができるようメディアで証明してみせていた。
ムツゴロウさんが仕掛けた室内飼いは、単に犬を室内に入れるということではない。常にそばにいて、共に生きる、ということを意味する。つまりはセバスチャンとジョリィになるということ。そんな生涯にわたるムツゴロウさんの熱い取り組みが人々が信じてきた常識を変え、諦めていた私の夢を叶えてくれたということになる。
■未来のためにできること
2022年2月22日から始めた私の未来のための活動は毎日休むことなく続けている。毎日愛犬の側にいてスキと言ってあげる。それを受け止める愛犬はしっぽを振って幸せホルモンを放出し、その嬉しそうな姿に私の幸せホルモンも放出する。二人の幸せホルモンは周囲の人にも心地よく伝わり、ああ、犬っていいねー、かわいいねー、と思わせる。今の時代、活気づいていることはすぐにメディアに取り上げられ瞬時に拡散される。そんな注目されるところにはビジネスも生まれる。関心が高まる。
ムツゴロウさんたちによって切り開かれた動物にやさしい社会はまだまだ課題がたくさんある。虐待や遺棄、悪質な業者による販売、動物愛護団体の不適切な飼養、多頭飼育崩壊など、新たに生まれた問題もある。
私にできることはほんの小さなことだけれど、こんな小さな仕掛けでも毎日つづければ、いつか人々の意識に誤認させられていた「犬=物」を「犬=命」へと修正することにつながるだろう。動物について語る時に「人か人以外」とカテゴライズする人間の傲慢さに気づかせることもできるかもしれない。
何十回 何百回 ぶつかりあって
何十年 何百年 昔の光が
星自身も忘れた頃に
僕らを照らしている
毎日愛犬に伝える私のスキがいつか星の光のように未来の世の中を照らしてくれる。そして今を生きている私たち愛犬家が仕掛けておいたたたくさんのぼた餅が棚から落ちて、それを未来のセバスチャンとジョリィが笑い転げながら拾っていく、私は今、そんな未来を想像している。
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