太陽をすくう
小さな島で育った私は
子どもの頃、夏はよく海で遊んだ。
(…海しかないし。)
友達が投げた石をもぐって拾ったり、
海に浮かんでいるクラゲを集めて砂浜で日干しにしたり、
砂に紛れている煉瓦を拾い
こすってできた色水でフェイスペイントしたり。
道具など何も要らなかった。
海にあるもので遊ぶ私たちは
家から水着(もちろんスクール水着)になって手ぶらで歩いて浜に行き
疲れるまで遊んで濡れた水着のまま手ぶらで家に帰った。
時には拾った宝石のようなシーガラスを
海に流されていたビニールに入れて持ち帰ったりしたっけ。
まぁ、そんな感じの海あそびだった。
島を離れ、親になり、夏の帰省の予定を立てると
子どもたちはきまって「海に行きたい!」と言う。
そのためにはかわいい水着を買わなきゃいけないし
大きな浮き輪かボートも持って行きたいと言う。
海に行けばスマホで何枚も自撮りし
クラゲが浮いていたら「キモイ」と逃げる。
これが都会で育った現代っ子の"海あそび"だった。
田舎育ちがコンプレックスだった私が
田舎育ちも悪くないなと思うようになれたのは
自然とのふれあい方を知らない我が子を
かわいそうと思ったからかもしれない。
自然の中で育ったという経歴を
勉強では得られない人間力を獲得している証として
胸を張って開示できるようになった。
そんなちょっと高慢になっていた私の鼻を
ぽきっとへし折った瞬間がある。
これがその衝撃のある夏の1コマ
水着も浮き輪も何も持たずに弾丸帰省したある夏の日。
陽がのぼったばかりの静かな瀬戸内の海で
娘はその見たこともない朝の光景に
サンダルを脱ぎ捨て、衝動的に海に入り
水面にそうっと両手を突っ込んだ。
そして大事そうに水に映る光をすくいあげた。
「やばっ。太陽だ!」
自然の本当の美しさが見えていなかったのは
どうやら田舎育ちの私のようだ。
自然の中で育った私は
当たり前にある自然を愛でることを知らずに育ったのかもしれない。
毎日水面を照らす太陽の光は
日常に溢れる当たり前の光景になった小さな幸せと同じ。
見慣れた光景の中にあるキラキラをすくう
そんな暮らしをしたいから
この1枚は胸に刻んでおくことにする。