実存の誕生

名前は全人格に放射されるペルソナの固着点であり、それゆえ屡々自己同一性の淵源として了解される。しかし、名前は珊瑚における褐虫藻の役割を果たしているに過ぎない―鮮やかな色彩=ペルソナを周囲に誇示する、実存と根源的に異質な存在として握出されねばならない。

しかしまた、名前を失った実存は白化し得ない。名付けられた名前は強制された歓喜として全世界にその把握を求めるにもかかわらず、実存にとり名称など空虚な記号にすぎぬことを我々は知っている。名前はシニフィアンに過ぎぬと悟った我々は、実存と名前とを結合させるランガージュとしての「名付け」に傲然と反旗を翻す。

実存と名前との分離はまた世界の編み替えであり、万象を読み込む船への桟橋であり、あるいは終末への予鈴である。実存の誕生!名付けられ、固定された視座を逸脱した実存は方にその揺籃を脱し、破滅に向かってひた走る。世界を了知せぬ者の微温的白眼視のなか、反抗し、絶望し、あるいは諦観する者たちよ、孑然と生きよ。

どこへ行く途なのかを忘れている者。
                     ヘラクレイトス 七一(73注)
      田中美知太郎著『古代哲学史』所収、講談社学術文庫刊、p258

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