生き方を定めるむずかしさ
前回の投稿では、仕事における”北極星”を探しているというお話をしました。ずっと動かず、ずっと届かず、光り続けるもの。いわゆる、キャリアビジョンとか、もっと平たく言えば”夢”のようなもの。ちなみに、”北極星”のメタファーは、ジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー」に書かれてあったものです。
僕はまだこの”北極星”が見つけられていないのですが、正確には乱視のような状態で、いくつも見えているような状況です。もしくは、いろんな星から同時に見ているような感覚です。”禅”の星から見れば、色即是空。ただ今生きていることにだけ集中。資産家の星から見れば、ポートフォリオを強靭にせよ、資産を増やせ、複利を使え。チルアウトの星からは、海沿いに引っ越して、リモートワークでもしたらいいじゃんとか。チャレンジャーの星にいると、限界突破!限界突破!ニヒリズムの星からは、そもそも人間の一生で起こる起伏など、宇宙の寿命からしたら、水平そのものでしかないし。至極いい加減に、無責任に北極星が現れては消えてを繰り返す。
空を見上げれば、いきなり多元宇宙に吹き飛ばされるのですが、生活の中には暫定的に仕事があり、人間関係があり、それなりの制約(と自分で設定しているもの)に支えられて毎日は成り立っている状況です。いざ仕事となれば、データの海に潜って、それらしいデータを削り取って磨く作業に取り掛かります。自由気ままな(に見える)ステークホルダーの声に耳を傾け、なんとか彼等彼女等の問題を解決しようと必死に頑張る。ご飯を食べて、テレビを見て、洗濯物を畳んで…
元来疑い深い性格で、真理っぽいものを探していながら、真理っぽい顔をしたものには警戒心が強いため、ここ!と場所を決めて、そこから景色を見ることができない。そのせいもあって、北極星は乱視のように何個もある始末です。そこがメンヘラを助長させる要因の一つでもあったりします。あれこれ考えているうちに、どれが自分の考えで、他人の考えなのか境目がわからなくなってしまう。
決めないことを自分らしさに設定するという手もあって、宇宙は一つじゃなくてもいいんじゃないかとも思うのですが、それすら一つの宇宙に還元されてしまう始末で、面倒な思考パターンです。自分で自分を罠にはめているような感じです。もうこれを10代の頃からやっていて、染み付いてしまっている。選択から逃げる手段としてのメタ思考のようにも感じます。ただ、本質的には逃げようが逃げまいが時間は流れて、自分は真っ直ぐに死に向かっているので、逃げているかいないかという問いもナンセンスになってくる。とまあ、こんな具合です。