トランスレーションズ展で感じた、無限のコミュニケーションという光
「トランスレーションズ展-『わかりあえなさ』をわかりあおう」の余韻が長い。
内容をウェブサイトから抜粋すると、「さまざまな『翻訳』のあり方を提示する作品を紹介」という企画展です。
言葉に限りがあり、完璧な翻訳なんて無いという実感に小さなショック。一方で、コミュニケーションの裾野の広さに触れられた点で、今後の伝達や表現といったコミュニケーションに前向きなモチベーションを得られました。
……と早速に、この企画展を私が上手に「翻訳」できず、ぽろぽろ魅力がこぼれている実感もあります。それでも自分なりに「翻訳」しながら、魅力をひろっていきます。
個人的な鑑賞動機…「翻訳って難しい」
はじめに自分事ですが、今年、趣味として翻訳を始めてみました。
題材はイギリスの小説。これを家族が読めるように訳すことがゴールです。たいした英語力もないけど「身内向けだし、英語はGooglel翻訳に頼って、手直しすればいいや」。
始めて8か月。11月現在、2合目。
始めると、言葉は対応させられても、ニュアンスに不安があったり、著者の言葉が持つリズム(マルの位置や、慣用表現……)まで残すべきかなど、戸惑いだらけ。
算数ドリルを解くつもりが、数学3の教科書を開いた気分。
翻訳にヒントが欲しい。
そう思っていたところに見つけたのが、トランスレーションズ展でした。
「翻訳」を観たい
ウェブサイトの「さまざまな『翻訳』のあり方を提示する作品を紹介」という文言に強く惹かれました。
さらに、その中身も魅力的。
・AIによる自動翻訳を用いた体験型の展示
・複数の言語を母国語とするクレオール話者による映像
・手話やジェスチャーといった豊かな身体表現
・人と動物そして微生物とのコミュニケーション
言葉やコミュニケーションの展示が見られるらしいという、あやふやな把握をしたところで、会場である六本木の21_21 DESIGN SIGHTへ向かいました。
「翻訳」で生じる、わかりあえなさ
会場内はいくつかのゾーンに分かれています。
最初に現れるのが、展覧会ディレクターであるドミニク・チェンさんの、ディレクターズ・メッセージです。
冒頭からやられます。
翻訳とは通常、ある言語で書かれたり話されたりする言葉を、別の言語に変換することを指しています。しかし、一つの言語で言葉を発するプロセスそれ自体も、一種の翻訳行為とみなすことができます。
翻訳って、幅広い!
何かについて話すこと自体、何かを自分の言葉で翻訳すること。自分なりの“翻訳”が下図です。
見たものを、頭で把握し(1回目の翻訳)、言葉にする(2回目の翻訳)。そのプロセスで、青い丸は、黄色い星や緑の四角になるかもしれない。
ドミニクさんはメッセージに書きます。
そもそも自分でも完璧にその感情を翻訳しきれることはないのです。
会場を進み、暗室の中へ。「ファウンド・イン・トランスレーション」と名付けられた展示。室内中央のマイクに話しかけると、言葉がGoogle翻訳で複数の言語に訳される過程が、複数のモニターに映されます。
リアルタイムで言葉がつながり、広がっていく面白さの一方で、立体的に示される複数の言葉は、私にはある種、脅威もありました。それぞれの言葉同士にある翻訳のズレを想像したからです。
しかも、展示はほんの一部の言語。世界で話されている言語は約7000!
そもそも自分一人の翻訳も難しく、言葉自体もたくさんある。完璧に翻訳することなんてできそうにない……。ちょっと圧倒された思い。
わかりあえなさ、をまず伝えられた気がしました。
でも、モニターに色分けされた言葉はカラフルで綺麗。インタラクティブで、飽きずに見ていられる。
翻訳、楽しいかもという予感。
次の作品にも期待しながら、先へと進みます。
作品を観て回る
暗室を出ると、広い展示室。作品がランダムに置かれています。
順番は付いていますが、観る順番はないよう。気の赴くままに歩く。
すると、「翻訳、楽しいかも」がふくらんできます。
例えば、「翻訳できない世界のことば」。エラ・フランシス・サンダースさんの同名の本からの展示です。
「翻訳できない」言葉を、イラストで伝える可能性を教えてくれます。
次に、聴こえない人にも音を感じてもらう、「オンテナ」。
映像の音に合わせて、ミニカー程度の大きさのデバイスが震える。指にダイレクトにつたわる、動物の叫び声は、頭で考えるよりもずっと強烈に感覚が代替される面白さをおしえてくれます。
また、「…のイメージ」では、フープの中に手を入れ、動かすことで画面に雨を降らせたり、雲を浮かべられます。
私は1人で観ていたので、正直、参加型の展示は恥ずかしさもあって手を出しづらい(苦笑)。でも、そーっと手を出すと、体の動きとリンクする画面の面白さに引き込まれ、結局、3種のフープすべて試しました。
気づくと、他の作品にもどんどん参加していました。
ぬか漬けとコミュニケーションする「ヌカボット v3.0」にも、声をかけてましたよね。
「今、どんな感じ?」
「食べごろだよ」とヌカボット。
人間以外とのコミュニケーション体験は、翻訳のカバー範囲の広がりを実感できます。
わかりあえなさの摩擦と、擦り傷のケア
展示室の最後には、「Translation Zone」という永田康祐さんの映像作品がありました。
料理から翻訳を考えるという、約30分の作品。
例えば、チャーハンとナシゴレンは、英語でfried rice(米を炒めた料理)という同じ言葉で訳されるという話題が語られながら、映像では実際にチャーハンを作る様子が流れます。
もちろん、この2つは違う。
映像ではこれを「同じに訳される。でも、そこには強い摩擦が生じる」というような言い回しで説明します。
この「摩擦」という表現が、とっても好きでした。
語感から、手ざわりある“擦り傷”のイメージがふくらんだからです。
ムリが生じている感じ。でも、摩擦という原因と、擦り傷という現象がわかれば、何か対処法がありそうだと感じられる。
擦り傷はケアすれば良いんだと。
わかりあうためのバリエーション
トランスレーションズ展は、「translation(翻訳)」に、複数形の「s」がついています。
これは、正確さが重視される翻訳だけではなく、様々な翻訳があってもいいのではという意味合いが込められているそうです。
会場にはたくさんの翻訳があります。
様々な国の言葉同士を対応させる翻訳もあるし、言葉にとらわれない翻訳もある。言葉にとらわれないほうが、むしろ多い。
“完璧な翻訳”ができるなんておごりで、自分自身の“翻訳”だって、やっぱり疑わしい。
ただ、そこから、わかりあうための翻訳はいくつもバリエーションがある。
何もわかっていないという前提を知れたとき、そこに無限のコミュニケーションという光が見えるような気がします。
それを体の感覚から知ることができるような企画展でした。
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