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繰り返される『PERFECT DAYS』。

日々は終わりのないループであり、朝が来て夜になる。そしてまた朝が来る。なんという単調な退屈さだろうと思っていたことがあった。しかし、いまは単調な繰り返しのなかにこそ意義があると感じる。日々の繰り返しは一回性のものであり、二度と同じ時間を生きることはできない。ゆえに尊い。

『PERFECT DAYS』という映画を観た。素晴らしい作品だった。

この映画は、東京の朝から始まる。遠くに太陽が昇る青みがかった明け方の遠景、暗い木々のざわめき、ほうきで道路を履く音。続いて眠る平山、役所広司さんの顔が大きく映し出される。彼は大きく息を吐き、二階の部屋から窓の外を眺める。布団を畳む。ほとんど何もない畳の部屋で、最小限の生活を営む平山の姿が美しかった。

美しい所作という点でいえば、布団の畳み方を教えてもらった。いつも自分は、掛布団の上に敷布団を重ねて畳んでしまう。ところが平山は、まず脇に掛布団を畳み、それから敷布団を畳んで、その上に掛布団を重ねる。そうすれば、敷布団の重みで掛布団がつぶされてしまうことがないのだろう。今朝から、映画に教わったように布団を畳むことにした。

平山が押し入れに布団を仕舞わないのはなぜかといえば、押し入れには、いくつものブリキの缶に詰められた写真があるからだ。その写真はフィルムカメラで木漏れ日を撮影したものである。現像のために平山は、休日になると写真屋を訪れる。

布団を畳んだ平山は、読みかけの本を確認して、階下に降りて歯を磨く。はさみで鼻の下の髭を刈る。顔を洗う。部屋で育てている植物たちのために、霧吹きで水をあげる。それから出勤の準備だ。清掃員として働いている平山は、The Tokyo Toiletと書かれた制服のつなぎを着る。玄関の横に並べてある財布や小型のフィルムカメラ、鍵、時計、アルミの皿の上にある小銭をとって、外へ出る。

鄙びたアパートのドアを開けて空を見上げるとき、彼の表情はやわらぐ。駐車場のところにある自動販売機に小銭を入れて、BOSSのカフェオレを買う。青色のクルマに乗り込んでカセットテープを入れると走り出す。スカイツリーが見える。

この時点で、なんという美しい映像だろうとため息をついた。日本人より、外国人のほうが美しい日本を撮るような気がしている。

ところが、さらに驚いたのは渋谷のモダンなデザインのトイレだった。平山は清掃員として働いているのだが、音声付きの自動ドアで開くトイレ、壁面がガラス張りで使用中には半透明に曇る造り、木材が使われていたり円筒形だったり、美術館のような佇まいのトイレが映し出される。そのきれいなトイレをていねいに清掃する。鏡で便器の裏側まで点検する彼の働きぶりは、まさにプロだ。

このようなトイレがあることは聞いたことがあった。しかし、ほとんど渋谷には行かないし、ここまで美しいとは思わなかった。そもそも、この映画は、日本財団による渋谷17か所の公共トイレを刷新する「THE TOKYO TOILET」が発端として作られたことを鑑賞後に知った。ユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井康治さん、高崎卓馬さんがヴィム・ヴェンダース監督に声をかけることから、プロジェクトがスタートしたらしい。

一日を終えた平山は自転車に乗って銭湯に入り、地下街にある居酒屋で酎ハイを飲む。部屋に戻ると文庫本を読みながら眠る。夢のなかでは抽象的なモノクロの映像が飛び交う。そうしてまた朝が来る。

『PERFECT DAYS』のストーリーは、平山の一日の繰り返しによって成り立っている。平山は寡黙であり、ほとんど喋らない。しかし、彼の行動と表情が、言葉以上に饒舌に語りかけてくる。

繰り返される日々ではあるのだが、ちょっとしたイレギュラーな出来事が起きる。トイレに置手紙のようなものが残されて、見知らぬ誰かとやりとりをするような楽しみもあれば、とんだ災難もある。たとえば仕事先の後輩であるタカシは、平山のカセットテープを売ろうとしたり、突然仕事をやめてしまったりする。そんな突発的な事件が彼の平穏を乱す。しかし、あまり激高することはない。淡々と日常は続く。

平山の妹の娘であるニコ(中野有紗さん)が家出して、彼のもとに泊まりにきても、静かに受け入れる。行きつけの小料理屋の女将(石川さゆりさん)をほのかに慕っているのだが、元夫(三浦友和さん)の登場に動揺しながらも打ち解ける。

大人の物語だなあと思った。

寡黙さゆえに推測するしかないのだが、ニコの母親つまり彼の妹(麻生祐未さん)がニコを迎えにくるシーンから想像すると、平山は裕福な家に生まれながら、父親と何か諍いがあって家を飛び出したのではないか。なぜ結婚せずにひとりなのか、清掃員の仕事を続けているのか。その理由は何も説明されないだけに、想像が拡がる。

布団と音楽のカセットテープしかないように見える平山の部屋は、その奥に本棚がある。本は棚からあふれて、畳の上に平積みにされている。

1冊を読み終えると彼は休日に古本屋に立ち寄り、100円の棚から1冊だけ買う。買うときに古本屋の女主人は、短くコメントする。たとえば幸田文の『木』であれば「幸田文はもっと評価されなきゃダメよね。同じ言葉を使っているのに、どうしてこうも違うのかね」。『11の物語』については「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思うわ」というように。こんな古本屋さんに行ってみたい。
 
ところで以前には、何かのついでに書店に立ち寄って、買う目的がなかった本を何冊も衝動買いすることがあった。しかし、そういう買い方は最近、がさつで品性がないように感じるようになった。

積読に関しても同様である。読まない本を自己満足のために買って放置しておくのは、本に対して失礼ではないか。SNSを眺めていると、積読をあたかも自慢のように写真に撮って晒しているひとたちがいる。読まない本が増えれば増えるほど、ステイタスが上がるかのように。そんなふるまいは読書家とはいえないと思う。悪趣味なコレクターのようにみえるから賛同できない。本は飾り物ではなく、読まれるためにあるはずだ。

この映画の平山のように、一冊をていねいに読み、読み終えたら次の1冊を求めるような慎ましさに憧れる。平山はとても誠実な読書家であり、ミニマリストの生き方に惹かれた。
 
カセットテープで聴く音楽も素晴らしい。表題でもある『Perfect Day』はルー・リードの楽曲。ヴィム・ヴェンダース監督といえばロード・ムービーの巨匠といえるが、クルマで走る風景(自転車でもオッケー)にぴったりだと感じた。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、ローリング・ストーンズ、ヴァン・モリソン、キンクスという洋楽が使われる中で、1曲だけ日本語の金延幸子さんの『青い魚』という曲が気になった。

全体に渡って、こころに沁み込むような映像だったが、打ちのめされたのはラストシーンの平山の表情、役所広司さんの演技だ。

昇っていく太陽のように表情が次々と変わる。涙をこらえて笑おうとしているのではないだろう。笑い泣きでもないと感じた。その転々とする感情の変化の繰り返しこそが、寡黙な平山の人生そのものではなかったのか。

カンペキな日々というのは、あらゆることがうまくいった奇跡的な日々でもなければ、幸福のピークともいえない。もちろん、かなしみと絶望のどん底でもない。淡々とトイレ清掃員の生活を繰り返す平山だが、その毎日は変化に満ちている。同じような繰り返しでありながら、ひとつも同じではない。気持ちよく目覚め、満ち足りて眠ることができる日々。それこそがパーフェクトといえるのでは。

人生に落胆した男が、影を重ねると暗くなるのだろうかという疑問を投げかけるシーンがある。平山は男と街灯のひかりの下でふたりの影を重ねる。何も変わっていないという男に対して平山は「何も変わらないだなんて、そんな馬鹿な話、ないですよ」という。年を取るのは影を重ねるようなものであり、日々を繰り返すたびに各々の影は濃くなる。影の濃さは、影を眺めている人間の思いや姿勢が作り出す。

何も変わらないように見える繰り返しの毎日であっても、日々は新しい。
ぼくらは毎日生まれ変わる。夏の、あるいは冬の透明な朝のように。

2024.12.28 Bw