旧甲州街道ウォーク㉔ 白野宿→阿弥陀海道宿→黒野田宿
こんにちは、ばーどです。
2024年10月6日(日)。
雲が低い空のもと、笹子峠下の宿場町を歩きました。
1.稲村神社
白野宿、その先の阿弥陀海道宿と黒野田宿は、合わせて“上初狩三宿”とも呼ばれ、合宿(ごうしゅく)を構成しています。
合宿は問屋などの宿場町機能を分担し、この三宿では黒野田宿が月の前半、あとの二宿が4分の1づつ、という区分けです。
瀝青(れきせい)を調べてみると、アスファルトなどの道路舗装や防水剤などに使用する化合物のようです。
この区間の開業は明治36年、複線化は昭和41年という記録が残っています。
桃太郎伝説で、鬼が投げた石杭がこの地に突き刺さったといわれています。
山あいの小さな集落、原集落。
公民館の前に、運動着姿の元気な子どもたちが集まってました。ほどなくスクールバスとすれ違い、これを待ってたようです。
今日は日曜日、もしかすると運動会でしょうか。この子たちのためにも、空が晴れてくれるといいのですが。
赤銅色と大きな唐破風の屋根が、目を引きます。
この先の民家の前で、地元のご老人に声をかけられ、甲州街道の旧道を歩いてます、今日は峠を越えます、とお話しました。
ご老人は西の方角の空を見上げて少し考え、「今日は峠は雨だと思う、峠を越えると晴れるだろうけど、十分に気を付けて」とのこと。
雲は低いが雨ではなかったので、ちょっとびっくり。でも長年の経験からわかるんだろうなぁ。
この先、正面の先にある旧笹子小学校の敷地の中を、旧道は通っていたようですが、今は通れないので左へ進みます。
2.<第三十二番>阿弥陀海道宿
阿弥陀海道という不思議な名の宿場町。
集落の近くにかつて阿弥陀堂があったのが由来。その跡地を見に、反対側(左の方向)に向かいました。
森に囲まれた一角のわずかに開けた場所に、整備された跡地がありました。
引き返して、街道ルートに戻ります。
富士山系の清水を使用する、1661年創業の蔵元。中央本線からも中央高速からも見える、笹子のシンボル的な酒造会社です。
宿場町に入ったはずですが、本陣跡などの遺構や古い街並みは、ほとんど見当たりません。
笹子の名物のひとつ、笹子餅。
かつては峠の茶屋で売られ、鉄道開通後は駅の停車中にホームで販売し、笹一酒造直営店が開業するとマイカー観光客向けに販売、と時代の移り変わりに合わせて販路が変わります。
製造販売の「みどりや」は、甲州街道(国道20号)沿いにあり、朝7時から販売していたので、もちろん購入。
このあと、笹子峠を越えてから食べました。やわらかいヨモギ餅とほどよい甘さのあんが、絶妙です。
お店の方にも、峠は雨だと思いますよ、足下に気をつけて、と教えていただきました。
街道からちょっと外れて、笹子駅で休憩します。
山梨県の中央部と東部、さらに東京を結ぶために、明治36年に開通した中央本線笹子トンネルは、当時は日本最長の鉄道トンネルでした。掘削前の地質調査実施や、電灯を使いながらの工事など、今では当たり前のことが初めて採用された、日本近代化の歴史にも名を残しています。
笹子駅は、ひとつ東京寄りの初狩駅と同じく、かつてはスイッチバック式だった駅で、引込み線跡はJR東日本の訓練施設として活用されてます。
白野宿→阿弥陀海道宿
距離 2.6km
所要 40分(休憩除く)
3.<第三十三番>黒野田宿
このあたりが、黒野田宿の江戸口のようです。
阿弥陀海道の阿弥陀像をここに移して、ご本尊としたそうです。宿場町は違えども、やはり交流はあったようですね。
江戸からは二十五里め、黒野田の一里塚跡の標注は、ここにあります。
芭蕉は、奥の細道で歩いた日光・奥州街道のイメージがありますが、一時初狩宿に住んだこともあり、甲州街道にも句碑が多く残されていますね。
阿弥陀海道宿→黒野田宿
距離 0.8km
所要 10分(休憩除く)
さて、いよいよこの先は、甲州街道最大の難所、笹子峠に挑みます。
空模様は、地元の方々のお言葉どおり、怪しいです(泣)。