旧奥州街道ウォーク⑥ 大田原宿→鍋掛宿
こんにちは、ばーどです。
2024年5月4日(土)、GWの街道ウォー2日目の後半戦。
ひたすら県道を歩くルートです。
1.蛇尾川
大田原宿の大久保木戸跡を左折するとすぐ、蛇尾川を渡ります。
語源はアイヌ語の「サッピナイ」で、乾いた小石河原の川という意味。ここから数kmほど上流の那須野原扇状地内では伏流水となり、水がほとんどない河原が続いているといいます。
本社は埼玉県鴻巣市。この工場ではブレーカーや漏電遮断器を製造しています。この工場の製品のお世話になっている人もきっと多いはず。
この日3つめではじめて、場所が特定でき、「塚」が残っている一里塚です。
2.棚倉追分
棚倉(たなぐら)は、茨城と県境を接する福島県南部の町。江戸時代は5万石の城下町でした。江戸や日光へ向かう場合は、棚倉道を使ってこの追分で奥州街道と合流していたようです。
コウヤマキ(高野槇)は、勝手に「高野山の樹木」と思ってましたが、(北日本以外)全国にある木なのですね。
青空と緑が続く風景。
県道をひたすら歩くルートですが、ときおり遠くの山を望みながら、気持ちよくウォーキングしています。
3.那須湯道
この辺りに、練貫の一里塚があったとされていますが、詳細な場所は不明です。江戸から三十九里めになります。
那須湯道は、那須湯本温泉へ通ずる道のようです。
いちおう道は左に延びてますが、未舗装で来るがやっと通れるくらいの道。Googleマップで見ると、途中途切れてはいますが、確かに那須湯本方面に向かってます。
2005年に、黒磯市・西那須野町・塩原町が新設合併して誕生した市。
栃木県内には、那須烏山市や那須町もあり、知名度高い「那須」ブランドは強力です。
牧場や牧草ロールなどが目につくようになり、地元のスーパーで「那須高原」と書かれた牛乳パックを見かけたことを思い出しました。
4.樋沢
蝦夷征伐に向かう坂上田村麻呂が、大沼に生息する巨大なうなぎの被害を聞き、沼の水を抜いて退治したという言い伝えがあり、そこから地名が干沢→樋沢になったとか。今は沼はありませんでした。
今の道が切通しのため、実際の塚までは石段を上っていくことになります。
5.<第六番>鍋掛宿
鍋掛宿は那珂川の西岸の宿場町で、対岸の越堀宿と二宿で一宿の機能を果たしていました。川が増水すると賑わったようですが、今は非常に静かな集落です。
どちらも那須塩原市の地域交通。
「ゆ~バス」は地元バス会社に委託して小型バスで運行。予約不要。
「ゆ~タク」は地元タクシー会社に委託し、事前に電話で予約が必要。
(この日の夕方、「ゆ~タク」を利用しました)
左へ曲がると、JR東北本線の黒磯駅へ通じます。
鍋掛宿には、本陣と脇本陣が一軒づつありましたが、場所を示す碑や案内などがありませんでした。
ここから川へ下る道(今は消失)があり、那珂川を橋で渡ったそうです。
県道に戻り、現代の橋で那珂川を渡って、対岸の越堀宿まで向かいます。
大田原宿→鍋掛宿
距離 11.4km
所要 2時間45分(休憩除く)
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