旧東海道ウォーク⑤ 保土ヶ谷宿→戸塚宿
日本橋からスタートした初日は、保土ヶ谷宿まで。今回はその続きで、さらに西へ向かいます。
1.<第四番>保土ヶ谷宿 その2
2.権太坂・焼餅坂
3.品濃の一里塚
4.<第五番>戸塚宿
1.<第四番>保土ヶ谷宿 その2
2022年5月29日(日)、快晴。
前回より3週間、夏を思わせる強い日差しが朝から照り付ける。今日も暑くなりそうだ。
自宅からJRを3本乗り継いで、今日のスタートの保土ヶ谷駅へ。
駅前ロータリーを抜け、旧東海道に合流します。
8時25分、スタート。
東海道本線を踏切で渡ります。
これまで、JR線とはすべて立体交差。この旅で最初のJR踏切です。
踏切を越えると、今度は国道1号と出会います。
その交差点にあるのが、保土ヶ谷宿本陣跡。8時35分着。
国道1号に沿って右折。ここからしばらくは、この旅で初めて、国道1号を本格的に歩きます。
江戸から八里目にあたる、「保土ヶ谷の一里塚」。
その先に、京口にあたる「上方見付跡」があり、保土ヶ谷宿が終わります。
2.権太坂・焼餅坂
上方見付を過ぎて少し進むと、国道1号から右に入る脇道に入ります。
JR東海道線と国道1号線の間の脇道を進み、突き当りを左折、橋を渡って、今度は右折。するといよいよ権太坂です。
正月の箱根駅伝で2区と9区の勝負所として紹介されるのは、国道1号の坂のこと。ただし本当の権太坂はこの旧道のことを指します。
名前の由来は、ある武士が老人にこの坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いして「権太」と答えたところから、だとか。
坂を上ると、高台の住宅街が広がり、一角には横浜市バスの折返し場もありました。最寄りの駅まではかなりの距離と高低差があるので、バスが必要なのかもしれません。
このあたりの地名は「境木」。かつての武蔵国と相模国の境で、今では横浜市保土ヶ谷区と戸塚区の境になっています。面積も広い横浜市ですが、旧国でも2つにまたがっていたんですね。
ここからは、戸塚宿目指して下り坂になります。
坂の名前は「焼餅坂」。このあたりの御茶屋の名物から名づけられました。
3.品濃の一里塚
坂を下り、小川を渡ると、「品濃の一里塚」が見えてきました。
左右ともに原形をとどめている貴重な塚です。
丘の上の、車一台が通れるくらいの細い尾根道です。まわりは戸建の住宅と果樹農家が続きますが、眼の前に東戸塚駅の高層マンションが現れました。
やがて尾根道が尽きて高低差のある地形となり、旧東海道もくねくねとわかりにくくなります。ところどころ現れる案内表示が頼りです。
住宅街の中を、小川に沿って進み、国道1号といったん交差すると、正面に再び富士山が見えました。
再び国道1号に合流し、しばらく進みます。
不動坂の交差点から再び脇道に入ります。
右手に現れた赤レンガの建物は、国産初のハム工場です。
再び国道1号に戻り、戸塚宿へ向かいます。
4.<第五番>戸塚宿
戸塚宿の入口、江戸方見付跡の碑がありました。
国道1号はJRをアンダーパスで越えますが、旧東海道はその南側を川沿いに迂回し、戸塚駅東口まで来ました。
かつてはここは「開かずの踏切」でしたが、今は歩道橋に代わっています。
あまりの暑さのため、駅ビルのカフェで水分とこの携帯の充電を補給。
すでに予定よりペースが遅れ気味で、今日は平塚宿まで進めるか心配になってきました。
気を取り直し、スタート。しばらく進むと、戸塚宿の澤辺本陣跡に到着です。12時05分。
上下2車線の国道1号を進みます。横浜駅方面からは、横浜新道(有料道)とそれに続く1号バイパスが主流となるので、今歩いている国道1号の交通量はあまり多くありません。
ほどなく、上方見付跡となり、ここで戸塚宿は終わりです。
戸塚宿が終わると、大坂という登り坂が続きます。