旧日光街道ウォーク⑨ 中田宿→古河宿
こんにちは、ばーどです。
2024年2月28日(水)。
茨城県内の宿場は2つ。その間の区間を歩きます。
1.中田の松原
日光街道が東北本線と交わる個所は、この1ヵ所のみ。
貴重な風景をみることができました。
古河公方(こがくぼう)。
室町幕府を開いた足利尊氏が、関東の統治のために鎌倉府を設置し、そのトップである鎌倉公方は足利一族が務めた。五代目の足利成氏は、政情の対立で鎌倉を離れて下総国古河に移り、関東の東部を中心に勢力を広げ、以後は代々「古河公方」と呼ばれていたという
そうした一族のお茶屋があったくらいだから、風光明媚な場所だったはず。
実際に、このあたりの街道沿いは「中田の松原」と呼ばれ、東海道にもこのようなきれいなところはない、とまで言われたという記録もあります。
古河城の天守閣や富士山の姿も望むことができたそうです。
2.原町
茨城県古河市は、埼玉県と栃木県に挟まれた場所にありますが、群馬県にも近く、物流や交通の拠点になっています。
江戸から十六里め、原町の一里塚は、明治期に取り壊されたが、近くの学校の校庭に復元されています。
復元の経緯は詳しくわかりませんが、地域の歴史的痕跡を残す、素晴らしい取り組みだと思います。
祭禮道とは、沿道の神社の祭禮開催時のう回路、とのこと。
五街道を封鎖か交通規制するくらいなので、相当大きな祭だったのでしょうね。
3.<第九番>古河宿
古河宿の江戸口は、主要道路の三叉路になっています。かつては土塁が設けられ、番所があったとのこと。
将軍家の日光社参では、江戸から2日目の宿泊場所は、この古河城が通例。
街道から少し横道に入ります。
将軍家や諸大名の接待料理を用立てする役所が「御馳走番所」所在したエリアが「肴町」と呼ばれたそうです。
米銀の少し先にある「お休み処 坂長(ばんちょう)」。
かつて両替商、その後酒問屋として栄えた店の蔵をベースに、旧古河城の建造物の一部を移築して、市民や観光客の憩いのスペースとして整備されています。
街道に戻り、先を急ぎます。
古河宿内の桝形には、立派な石柱(道標)が建っています。
竹竿の先につけた提灯を激しく揉み合いながら、相手の提灯の火を消し合う祭りで「関東の奇祭」だそうです。
県道の合流地点が、古河宿の日光口。
このまま進み、次はいよいよ栃木県、野木宿へ向かいます。
中田宿→古河宿
距離 5.8km
所要 1時間16分(休憩除く)