旧甲州街道ウォーク⑪ 与瀬宿→吉野宿
こんにちは、ばーどです。
2024年7月28日(日)、猛暑の休日。
国道から外れた脇道、地図にない道、歩けない道、・・・。
1.地図にない道① 貝沢橋
与瀬宿を抜けて、国道脇の坂道を進むと、さっそく出た案内表示。
100mほど進むと、中央道の擁壁に阻まれて、行き止まり。
左に細い階段があり、中央道の下に続いてました。
国道20号が大きくカーブする地点で、沢沿いに進む未舗装道があり、ここがどうやら旧道のようだ。
この先、貝沢橋を渡って対岸の「与瀬の一里塚」までの区間は、持参した冊子(=山と渓谷社「ちゃんと歩ける甲州街道」)にも詳しく記載なく(他の部分はホントに細かく説明があって、大変参考になってます)、一抹の不安を抱えながら進みます。
結果から言うと、沢へ入る分岐点を見つけられず、断念してう回路に進みました。
ここに来る前に見た、街道歩きのブログにも、
林道をしばらく進んで「わかりづらい分岐」があり、「崩れそうな階段」で沢に下り、「折れそうな丸太橋」を渡り、「崖のような坂」を登り、「まともな道がない」中を歩き、・・・・、
と、あまりいいことが書いてなかったのと、たぶんここだろうと思われる道はあったのですが、あまりにも藪が深く危険と判断した、というわけです。
ここから、本来の旧道を逆に戻ってみようと、進み始めました。
一里塚跡から先(江戸方)は、藪に覆われた山道となり、がんばれば進めなくはなかったかもしれませんが、小仏峠を越えて体力消耗した身にはきつく、断念してしまいました。
ここで、google map に「本来の旧道ルート」を重ねてみました。
「林道から沢に下り、貝沢橋を渡って一里塚まで」は、google mapにも載ってにない区間だったようです。
2.地図にない道② 椚戸(くぐと)旧道
相模原市内にはこの形式の標柱が、集落ごとに整備されているようで、ルートがわかりやすかったです。
赤坂の標柱の先、前述の持参した冊子では、「右の草道を下り」と記載があるが、ますがそれらしき道はなく、・・・いや、茂みの中に「窪み」があり、これがそのルートだろうか?
ここでも、草道を進むべきか考えましたが、すでに気温が35℃近くで思考が働くなっていたのか、気づけばそのまま舗装道を下り初めていたので、結局そのままう回することにしました。
「草道」の出口まで来て上を見ると、下り坂の途中から草も刈られて歩けそうな感じでした。
旧道の本来のルートに戻り、進みます。
この区間の旧道ルートも、google map に赤矢印。
あとは、地図に載っている道を進み、吉野宿まで。
距離の割には、激しいアップダウンが続きましたが、それだけ急峻な区間だということがわかります。
3.<第十六番>吉野宿
吉野宿は、明治29年の大火で町のほとんどが焼失したため、古い街並みはほとんど残っていません。
吉野本陣も大火で焼失。跡地には明治天皇聖蹟の碑が建ちます。
次の関野宿が、神奈川県最後の宿。
気温も上がり、陽射しも容赦なく照り付けますが、休憩と水分補給をとりながら、進みます。
与瀬宿→吉野宿
距離 4.0km
所要 1時間00分(休憩除く)
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