旧東海道ウォーク㊴ 岡崎宿→池鯉鮒宿
池鯉鮒宿までは、二日またぎ(2023年5月26日(金)~27日(土))で向かいます。
1.出合之像
2.明治用水
3.来迎寺の一里塚
4.馬市
5.<第三十九番>池鯉鮒宿
1.出合之像
今日は御油宿からスタートして、すでに8時間経過。
疲労度もピーク、太陽も西に傾きかけてますが、池鯉鮒宿の手前の安城市まで、更に進むことにします。
かつての矢作橋は、橋をかけることが制限されていた旧東海道では、最長の橋だったそうです。
出会之像。
少年時代の秀吉と蜂須賀小六の出会った場所が、ここ矢作川。
この辺りに、江戸から八十二里めの一里塚があったはずだが、位置は不明。
その手前、八十一里め(岡崎宿の入り口辺りと推定)は、その存在も不明とのこと。
2.明治用水
手前2つが位置不明だったので、久しぶりの一里塚跡です。
社会科の教科書にあった、明治用水。
西三河台地の農業活性化を目的に計画、その後上水道や工業用水にも使われ、地域の生活を支える重要施設です。それまでは、不毛の地、とまで言われた地域が、「日本のデンマーク」とまで言われる農業先進地域になりました、
令和に入り、老朽化により取水がストップしたときには、付近のトヨタ系列の工場の工業用水が使えず、稼働停止になったとか。
かつての安城に宿場町や間の宿はないが、今日はここまで。近くの名鉄新安城駅前のホテルに投宿。
3.来迎寺の一里塚
昨夜の続きで、池鯉鮒宿を目指します。
下を流れる猿渡川(さわたりがわ)が、安城市と知立市の市境。
川の名前の由来はこちらをどうぞ。
いよいよ、来迎寺の一里塚です。
復元を含めても両塚が残る一里塚は非常に少なく、ここ来迎寺は非常に貴重な存在です。
反対側の北塚も見てみます。
両塚が揃う姿を見ることができて、非常に満足。当時の旅人が見た風景を想像しながら、西へ進みます。
4.馬市
国道419号(衣浦豊田道路)を越えると、松並木が続く区間に入ります。
知立神社が起源とされる「知立」ですが(これを「ちりゅう」と読むのも一苦労(笑))、江戸時代の宿場町としては「池鯉鮒」と書きます。
諸説いろいろありますが、もともと池が多いことと、当時の高級魚である鯉や鮒を当て字として加え、宿場町をアピールした、という説が有力です。
現代に置き換えれば、「美しが丘」のようにワクワクする地名を採用した、ようなものかな?
鯉や鮒など、魚を連想させる地名ですが、実際には馬市で有名な町でした。
数百頭の馬が集められる大規模な市で、遠くは信濃や飛騨から馬商人がこの町を訪れたとか。
松並木を抜け、国道1号を斜めに横断。
といっても、横断歩道や歩道橋は無く、歩行者用の地下道を使います。
5.<第三十九番>池鯉鮒宿
池鯉鮒宿は、江戸見附や東口のような場所が残ってないようですが、この辺りから宿場町が始まったのではないかと思われます。
名鉄の知立駅付近の高架工事が行われており、この区間も高架化される予定。旧東海道と交差する踏切が、また一つ減りますね。
街中に入ると、懐かしさを感じる建物や風景が、次々現れます。
自治体や国の政策や補助金のもとで、街づくりや街おこしを行っている地域も多い中、ここは「ありのまま」「手を加えない」的な、自然に残っている景観であることに、興味をひかれました。
池鯉鮒宿の本陣は3000坪と広大だったが、現在は市街地の中に組み込まれて、一般家屋や商店などが多く軒を連ねている。
東海道に面した側には、それらしき跡は見当たらなかったが、裏手に回ると石碑があるようなので、いったん旧道を離れます。
石碑のある裏手(こちらが表?)に回るのにも距離があり、広大な敷地を持つ本陣だったことがうかがえます。
時刻は9:25。
次は鳴海宿、いよいよ名古屋市内に入ります。