旧甲州街道ウォーク② 内藤新宿→下高井戸/上高井戸宿
こんにちは、ばーどです。
2024年6月8日(土)。
新宿の高層ビル群から、ひたすら国道20号を西進します。
1.初台・幡ヶ谷
広大な淀橋浄水場の跡地に、1970年代から建ち並んだ高層ビル。
隣の中野区で当時小学生だった私は、天に向かってどんどん伸びる姿を、毎日眺めてました。
国道の北側は新宿区、南側は渋谷区。
組み合わせは変わりますが、この先も「道を挟んで別の区」の区間が長く続きます。
二代将軍秀忠の乳母である、初台の局の菩提寺。これが初台の地名の由来。
かつての玉川上水があった場所。
市街地化が進み暗渠となったが、そこに線路を敷設した京王線が開業。1964年には地下化され、今もこの緑道の下を走ってます。
半蔵門の手前で国立劇場を通過したばかり。新旧国立劇場は、甲州街道沿いにありました。
2.笹塚
かつての刑場跡。それも罪人の手足を牛に引っ張らせる「牛裂き」という、なんともグロな刑が行われていたという。罪人の祟りを鎮めるために建てられた地蔵尊。効能はあったのだろうか。
塚が笹に覆われていたことから、「笹塚」の地名がついたとか。
ということは、一里塚が先で、後から地名が誕生ですか?。複雑で少し混乱。
自治体のコミュニティバスは、地方だけだと思われがちですが、東京23区でもあります。コンパクトな車体で、細い路地を通るルートが多いですね。
ちなみにこの付近から、国道の北側は杉並区、南側は世田谷区に変わっています。でも走るのは渋谷区のバス。
江戸時代に羽村から四谷大木戸まで、ほぼ平坦な土地のため、綿密な測量により高低差を探して建設されたという。
笹塚周辺の流路が蛇行しているのも、そのためだろうか。
3.<第二番>下高井戸宿
高井戸には、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場があり、2つで1つの宿場町を形成していました。
単独で宿場町を運営できないような小規模集落どうしが、業務を分担しあう合宿(ごうしゅく)は、甲州街道には多く見られます。
東海道や中山道ほどの往来が多くないことや、この先の山間部は人口も少なくなること、などが背景にありそうです。
都心から離れ、郊外でよく見る形態の店が増えてきたのを、実感します。
多摩川(玉川)と荒川の流域を結ぶ水道管上の、一風変わった道路。
まず一つが、都内に珍しくほぼ一直線に走る道。地図ですぐにわかります。
二つめ、水道管を保護するために、重量のある大型車が通行禁止。
本陣跡も高札場跡も、痕跡や説明板もなく、マンションが建つだけでした。
ちなみに、本陣の隣の不動堂が、小高い丘の上にあり、「高井堂」と呼ばれたのが、高井戸の由来だそうです。
内藤新宿→下高井戸宿
距離 6.9km
所要 1時間50分(休憩除く)
4.<第三番>上高井戸宿
合宿の境目は見分けがつかず、そのまま上高井戸宿に突入していた模様。
南北に走る鎌倉街道と交差して、そこが境目だったような気がします。
すぐ先の高井戸ジャンクションで、首都高速から中央高速に変わります。
京王バスの車庫のはずだが、止まっているのは見慣れない車体。
山梨交通、JRバス、信南交通、名鉄バス、岩手県北バス。共同運行するバス会社の停泊地にもなっているんですね。
とすれば、その各社の車庫にはちょうど京王バスが休憩中、というわけか。
上高井戸宿も、宿場町の痕跡はほぼゼロでした。
新宿駅西口からひたすら国道20号をたどってきて、やっと脇道に入ります。
合宿(ごうしゅく)が続き、次は「布田五宿」。
下高井戸宿→上高井戸宿
距離 1.6km
所要 25分(休憩除く)