旧東海道ウォーク㉟ 吉田宿→御油宿
2023年4月9日(日)。
今回の旅のゴール、御油宿までは、12km弱。西日に向かい進みます。
1.豊川・豊川放水路
2.風まつり
3.伊奈
4.名鉄電車
5.<第三十五番>御油宿
6.<番外編>まとめ
1.豊川・豊川放水路
豊川の川辺で休憩し、川を越えて御油宿へ向かいます。
1泊2日旅の最終区間、12km近くありますがラストスパート!
これから渡る橋は「豊橋」。市名と区別するために「とよばし」と呼ぶことが多いようですが、正式名称はこちらも「とよはし」だそうです。
少々複雑になりますが、地名の由来について調べました。
最初に川の「豊川」があって、その川沿いの町が稲荷神社で有名な「豊川市」。豊川市の中心部には入りませんが、旧東海道はこの先現在の豊川市域を通ります。
江戸時代は城下町・宿場町として栄えた「吉田」は、明治維新後に伊予・宇和島藩の城下町の吉田と紛らわしいため、明治政府から改名を求められて3つの候補名が与えられたが、そのうちのひとつが橋の名前に由来する「豊橋」であり、今の市名に落ち着いたとのこと。
ちなみに、伊予の吉田町は平成に入ってから宇和島市に合併して、自治体としての地名は消滅しています。
昨年秋に、静岡県内の吉原宿あたりを歩いたときも、軒先には「桃色の花飾り」の飾り、神社の境内には白い幟り、があったことを思い出しました。
調べてみると、「桃色の花飾り」は「軒花(のきばな)」という名で呼ばれ、静岡西部を中心に三河地区・東北地方のお祭りで使われているようでした。
そして、ちょうど昨日と今日が、豊麻神社の例大祭でした。
地域に根づいた老舗企業。「伝統」と「革新」を感じます。
田園地帯に魚屋さんが何軒も出現したのは、豊橋魚市場があるため。
もとは市街地にあったが、昭和42年にこの地へ移転し、東三河地区の食を支えています。
今歩いている県道496号線、すぐ北を走る国道1号を避けて走るのか、道幅の割に車の通行量ととばすスピードが半端ないです。
歩道がない橋なので、歩く自分はハラハラするし、私をよけて徐行するドライバーにも申し訳なく、急ぎ足で渡ります。
かつてこの地にあった橋には、「子だが橋」という伝説があります。
菟足(うたり)神社の祭りの初日には、その橋を最初に渡った女性を生贄に捧げる風習があり、ある年の祭の日の最初に渡る我が娘を見つけ驚いた村人が「我が子だがやむを得ん」と生贄に捧げた、という伝説から名前が取られたとか。
恐ろしい伝説を持つ神社、悲劇の村人家族。心が痛みます。
2.風まつり
国道247号線を越え、左へ進む県道から旧東海道は離れて、斜め右に進みます。
その分岐場所から先は、車両通行止めになっていました。どうやら地元の神社のお祭りがあるようです。
少し進むと、一風変わった山車が見えます。
地元の住民たち、老若男女が大勢集まり、かなりにぎやかです。テレビ局の取材も来ていています。
コロナ禍が落ち着いて、久しぶりのお祭りなのでしょう。人々の表情にも、嬉しさと安堵さが感じられます。
ん? 菟足神社?
これ、さっきの「子だが橋」の生贄の神社ではないか!
しかも今日は祭りの日・・・・。
いくつかサイトを調べてみると、(女性とは別に)平安時代は生きたイノシシだったり、江戸時代には雀十二羽に変わったりと、生贄の話がずいぶん出てきます。
神社の名前は「ウサギの足」、祭りは「風祭り」とかわいいのですが、なんでだろう。
神社の前を通り、西へ向かいます。
3.伊奈
豊川市の伊奈地区に入ります。
迦具土(かぐつち)とは、火の神の名前。
母であるイザナミが子を産むときに下腹部を火傷したという神話があるが、その子がまさにカグツチ。
東三河の平野部は、小さな川が多く、豊かな田園地帯を支えています。
江戸時代の旅人たちも越えたであろう小川を、現代の橋で渡ります。
逆に、かつては普通に進めた道が、現代では直進できないことも。
県道31号線と直角に交差する場所では、直進できず迂回して進みます。
4.名鉄電車
旧東海道の北側を並走していた国道1号線。
吉田宿の入口で離れて以来の、再会です。
この旅で初めての、名鉄との出会いです。
豊橋から名古屋までは、(新幹線は別にして)JR東海道線と名鉄名古屋本線が競合していますが、旧東海道のルートにほぼ沿って走るのは名鉄です。
最初の出会いは、支線の豊川線でしたが、このあと何度も赤い電車が視界に飛び込んでくるでしょう。
ここから先の約1kmは、厳密な旧東海道は失われているようで、資料を参考に、より近い道を進むことになります。
姫街道。
天竜川の左岸、安間の一里塚付近から分岐し、浜名湖の北岸を通る、東海道の別ルート。
今切の渡しや新居関所を迂回するなどの理由から、この道を使う女性が多かったため、姫街道と名付けられたとの説があります。
5.<第三十五番>御油宿
時刻は17時を回って日がだいぶ傾いたころ、御油宿が近くなってきました。
静かな夕暮れ時、水面に映る桜並木の風景。
切り取りたくなる風景です。
イチビキは、江戸中期に吉田(豊橋)で創業した味噌蔵が発祥。ここ御油には明治時代に工場が建設され、250年たった今でも、地元の味を支えているという。
ここにも、長く愛される地元企業がありました。
御油宿と、次の赤坂宿は、町の規模の割には栄えた宿場だったそうです。
その理由は「飯盛女」。今で言えば、温泉旅館のコンパニオンさんのような感じでしょうか。
隣の吉田宿が城下町であるが故に取り締まりが厳しく、羽目を外したい旅人には、御油宿と赤坂宿が好まれたとか。
本日のウォークは、ここ御油宿で終了します。
吉田宿→御油宿
距離 11.9km
所要 3時間25分(休憩除く)
6.番外編 まとめ
今回(4月8日~9日)のまとめです。
踏破区間 見附宿→御油宿
踏破距離 約64.3km
(1日目29.6km、2日目34.7km)
所要時間(休憩込み) 約20時間20分
(1日目9時間30分、2日目10時間50分)
春の週末を使って、遠江から三河へ進む2日間の旅でした。
振り返ってみると、天竜川・浜名湖・豊川を渡り、潮見坂からの遠州灘を眺めるなど、「水」と触れる機会が多かった気がします。
桜の見頃は過ぎていましたが、所々で花見を楽しむことができ、これからは新緑の中で一歩一歩進んでいくことになりそうで、楽しみです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。