旧奥州街道ウォーク③ 氏家宿→喜連川宿
こんにちは、ばーどです。
2024年5月3日(金)。
江戸から白河まで結ぶ奥州街道。初めての「山道」でした。
1.狭間田の一里塚
道中で見かける「●●夜塔」(●●は数字)は、「月待塔」と言われるもの。
例えば二十三夜塔なら、月齢が二十三夜の日に集まり、お経を唱えてたり飲食を共にして悪霊を払う宗教行事を行う講中が建てたものです。
並木という地名ですが、街路樹はありません。
昭和期まで100本以上の松並木があったそうですが、戦時中の松根油採取のために根こそぎ伐採されてしまったとのこと。
街道の並木の風景、見てみたかったです。
江戸から三十二里目にあたる、狭間田の一里塚。
北塚は取り壊されましたが、南塚が民家の敷地内に現存しています。
今日は晴天で25℃近くまで上がりました。
看板を見たら、温泉で汗を流したくなりました。
2.奥州街道古道
さくら市は、旧氏家町と旧喜連川町が合併して2005年に誕生。
今は同じ自治体でも氏家町は鬼怒川水系で、喜連川町は那珂川水系と、地理的には隔たりがあり、その間に低く連なる丘を、これから越えます。
ちなみに新市名を決める際、対等合併であることからどちらか一方の地にしないこととしたがなかなか決まらず、ともに「桜の名所」であることからこ市名に落ち着いたそうですが、知名度的にはどうでしょうか・・・。
古戦場跡付近から、喜連川軍の武将の名をとった「弥五郎坂」が続きます。
「江戸よりここまで平地なり、これより山道になる」と記述が残るように、
奥州街道で初の「丘越え」区間です。
1km弱の山道でしたが、気持ちよく歩くことができました。
ずっと舗装道路ばかりだったので、山道がもっと続いてほしかった・・・。
3.連城橋
ちょうど田植えが終わったばかりの水田は、水が引かれて、背後の風景が鏡のように映って見えます。
1年でもこの時期しか出会えない風景。見ることができ、嬉しいです。
今日の宿がこの橋の近くなので、いったん荷物を置きに行ってきました。
30分後、再び街道に戻り、喜連川宿内をめざします。
荒川を渡る連城橋が、喜連川宿の江戸口にあたります。
4.<第三番>喜連川宿
喜連川(きつれがわ)の地名の由来は、大木が荒川に映る姿が狐のように見えたことから、狐川(きつねがわ)と呼ばれたところからだそう。
1981年に、当時の喜連川町が町おこしのために温泉を掘削したのが始まりで、温泉としての歴史は非常に浅いのです。箱根や草津のような温泉街はなく、いたって普通の静かな集落です、
あと二つは、島根県の斐乃上温泉、佐賀県の嬉野温泉。正直、初めて知りました。
大正二年に建てられたとされ、内部の見学もできるようですが、すでに営業終了時間。
この建物も、大正十五年に建てられた旧喜連側警察署のものです。
日暮れが近くなり、今日の行程はここで終了。
なお、喜連川の一里塚(江戸から三十三里目)がこの付近にあったとされていますが、場所は不明とのこと。
宿へ戻る前に、「道の駅きつれがわ」併設の日帰り入浴施設に立ち寄り、今日の汗と疲れを流してきました。
翌5月4日(土)も晴天。
今日は30km以上歩くので、早朝6時に宿を出発。
アイスクリームで見かけるメーカーですね。
宿場町の入口も出口も、橋で川を渡ります。
次の宿場町は、佐久山宿。
氏家宿→喜連川宿
距離 7.7km
所要 2時間05分(休憩除く)