旧東海道ウォーク 54(完)大津宿→三条大橋
2023年11月4日(土)。
ゴール前最後の区間、府県境と2つの峠越えの、歩きがいのある道でした。
1.逢坂山
2.滋賀・京都の府県境
3.山科
4.日ノ岡峠
5.蹴上(けあげ)
6.<完>三条大橋
7.(番外)まとめ
1.逢坂山
JR東海道本線をオーバークロスし、大津宿を離れていきます。
大津と京都の間にあるのが、逢坂山。そして逢坂山と言えば、蝉丸。
百人一首のひとつで、「これやこの~、行くもかえるも~」という覚えやすいフレーズ、そして「せみまる」という親しみやすい名前、独特の風貌で、覚えている方も多いのでは。
蝉丸にゆかりの神社が三社あり、そのうちの一つ、関蝉丸(せきせみまる)神社の下社が、東海道の右側にありました。
品川宿手前の京浜急行本線の踏切から数えて、これが34個め、そして最後の踏切です。
京阪京津線と国道1号が並行してます。
線路や道路を通すだけの平地がほとんどなく、細い川に沿ってできた平地を、絡み合うように峠に向かっています。
京阪京津線は、なかなか面白い路線。
大津市街地は道路上の軌道を走り、逢坂山越えのこの区間では61‰(パーミル)という日本有数の急勾配があり、京都市内に入ると市営地下鉄に乗り入れるという、「路面電車+登山鉄道+地下鉄」という三刀流で楽しませてくれます。
並行していた京津線はトンネルにもぐりますが、国道はひたすら上りが続きます。
車石については、このあとで触れます。
平安京の東側を守る三関の一つ、逢坂山関があった場所。
他の二関のうち、不破関は中山道に、鈴鹿関は東海道にあるとされるが、場所がはっきりしないようです。ただ宿場町の地名としては、関ケ原宿(不破)や関宿(鈴鹿)があるので、この辺りになるのでしょう。
信仰画として生まれ、のちに世俗的な要素も含むタッチとなって、大津の名物となったとされています。
関蝉丸神社(下社・上社)と合わせて、蝉丸三社と呼ばれています。
峠を越える旅人の休憩場所として、立場があったようです。
この時には、まだ大谷翔平選手の移籍先は決まってませんでしたが、駅名表示の背景がドジャースブルーに見えなくもない気がします。
大津の名物、と言えるかわかりませんが、大津絵や大津算盤などのニッチ的な人気商品が生まれているのですね。知りませんでした。
走井の一里塚があった場所に、塚や碑はなく、「右一里丁 大谷町」という道標があるのみでした。
ここが、所在の確定している一里塚としては、最後の地点となります。
ホテルの多い京都においては、欠かせない業種かもしれません。
しかし、このような郊外にひっそり立地しているとは、驚きです。
2.滋賀・京都の府県境
東海道で7つ目の都府県、京都府に足を踏み入れることに。
厳密に言うと、写真の手前側は滋賀県大津市、標識から先は道路上が境界線となり、左側(標識側)は京都府京都市だが、右側(酒屋側)は滋賀県大津市のままです。
境界だということはわかりますが、でも何か変ですよね。
標識が道路中央(車道)に向かっていますが、これが手前側に向いていれば、矢印通りで正しく表示されるのですが、なぜでしょう?
150mほど進むと、伏見追分。
東海道は京の中心へ向かいますが、伏見街道は(京都市南部)伏見を経て大坂へ通じています。
関西より西の大名が参勤交代で江戸へ向かう場合、京を避けて伏見街道が使われていたとされています。
府県境はここから伏見街道に移り、東海道の両側は再び滋賀県大津市となるそうです。なんだかややこしい。
最近、東海道の終点は京・三条大橋ではなくて大坂・高麗橋とする説が出ているそうで、そうすると伏見→淀→枚方→守口の四宿が加わり、「東海道五十七次」になります。
江戸からも京からも27宿目で、「ど真ん中」で町おこししている静岡県の袋井宿は、大変ですよね。
車石と車道。
京と大津を結ぶ、重要路でありながら峠道であるこの区間に、牛車の轍で作られた溝。最初は自然にできた溝が起源だが、その後は花崗岩に溝を入れて通行しやすく整備したとも言われています。
大津宿からの東海道は、今回歩いた逢坂峠越えとは別に「小関越え」のルートがあり、そのルートがここで合流です。
ようやく滋賀県を卒業し、正真正銘京都市内に入りました。
3.山科
京都市内に入ると、国道1号は三条通りとなり、歩いている旧道は「旧三条通り」と呼ばれるよう になります。
市街地に入ること、イコール「ゴールが近い」でもあり、少し寂しい気持ちもありますね。。
明治元年に東京へ行幸の際、ここにあった茶屋で休憩したそうです。
愛宕信仰の本山は、京都市西部にある愛宕神社。
静岡県内の秋葉山常夜灯、三重県内の多度常夜灯、滋賀県内の金比羅常夜灯など、街道筋には信仰に紐づく常夜灯が数多く見られました。
五条別れ道標。
左ハ五条橋ひがしに六条大仏今ぐ満きよみず道、右ハ三条通。
つまり、「左は五条橋・六条大仏(=東本願寺)・今熊・清水へ、右は三条通り」ということらしい。
旧東海道のゴールは三条大橋だが、その南側へ行くんだったらここで左へどうぞ、という分岐点だったようです。
4.日ノ岡峠
京阪京津線は、現在は山科駅手前から地下に入り、三条通りの地下を走ります。
かつては(大津宿と同様に)路面電車のような併用軌道で三条駅まで向かっていて、JRをくぐってすぐ先の区間では左側の専用軌道に入っており、その線路跡が遊歩道になっています。
東海道ウォークでは、神奈川宿で東急東横線、吉原宿の先では身延線、の旧線跡が遊歩道になっていたのを、思い出しました。
天智天皇。
大化の改新を起こした中大兄皇子で、天皇即位後には大津宮に遷都を実行し、日本で初めての時計を作ったとされる人物の眠る御陵が、三条通りの反対側にあります。
このあたりに、御陵の一里塚があったとされます。東海道で最後の一里塚。
日本橋から百二十四里め。残念ながら、どこにあったか、詳細不明のようです。
だんだん上りが急になってきました。
逢坂山が最後の峠だと思われがちですが、山科から三条大橋までの区間には、最後の日ノ岡峠があります。
左側の山の上に寺院があるようですが、ここからさらに上るとなると、相当険しい場所ではないかと想像されます。
最後の峠を越えました。
あとは京の中心へ下るだけになります。
5.蹴上(けあげ)
盆地である京の都へ通じる道は、「京の七口」と呼ばれ、そのうちの一つの粟田口が、この辺りです。
粟田口といえば、刑場跡があったことで知られています。
この地に設けられた理由として、都に出入りする旅人への見せしめの意味もあったとか。そういえば品川宿の先にも鈴ヶ森刑場がありました。
琵琶湖の水を京都市内へ通すために作られた、琵琶湖疎水。
西洋の土木技術を取り入れて、明治期に3本の水路が造られました。舟運のほか、生活用水や農業用水としての利用、水力発電への応用(これにより京都市電の開通に繋がる)、さらには東京遷都による人口減少の危機に接した京都の復興と、大きな役割を担った大工事だったようです。
レンガ造りのレトロな風景は、寺社仏閣とは違った京都の別の魅力だと思います。
6.<完>三条大橋
蹴上を過ぎると、いよいよ観光地「京都」の風景となってきました。
三条大橋はこのまま直進ですが、ここでちょっと寄り道をしました。
約1時間後に戻って、再び旧東海道を進みます。
京都ならではのお店も並び、眺めるだけで風情を感じますね。
三条通り沿いには、外国人観光客や若い世代向けの、スタイリッシュな宿泊施設が並んでいました。
高級な懐石料亭風の和風旅館、修学旅行生が泊まる大型ホテル、といったイメージが付きまとう一昔前の京都とは、だいぶ雰囲気が違って新鮮です。
11月4日 16時30分。
東海道の終点、三条大橋に、ついに到着しました。
東海道の旅をしてきた者にとっては、何かモニュメント的な碑でもあるのではと期待してましたが、見つかりませんでした。
むしろここは、京都市民にとっては、鉄道の駅が通じる繁華街のスポットのひとつにすぎないのかもしれません。
鴨川の川べりに腰を下ろし、東海道五十三次(498.3km)を歩き終えた感傷に、ひとりでふけっていました。
11月になって日暮れが早く、そうこうしているうちに街の灯りがともる時間になってきました。
今日中に関東に帰ることもできたのですが、せっかくの京都なので1泊することにしました。
大津宿→京・三条大橋
距離 10.7km
所要 2時間45分(休憩・寄り道を除く)
7.(番外)まとめ
今回(11月3日~4日)のまとめです。
踏破区間 水口宿(京口付近)→京・三条大橋
踏破距離 約50.7km
(1日目24.8km、2日目25.9km)
所要時間(休憩込み) 約16時間40分
(1日目7時間30分、2日目9時間10分)
旧東海道ウォークの「最後の2日」は、平安から明治までの歴史を感じさせるスポットを巡る旅でした。
舞台が西に移るにつれて、そこまでの移動に時間がかかり、そして日没も早くなり、限られた時間内で歩き終えるために急ぎ足で進まざるをえなかったのが、少々残念でした。
またいつか訪れる機会を作って、じっくり観光できるようにしたいですね。
ゴールの三条大橋の手前で、1時間だけ寄り道したと書きました。
そこで向かった先は、八坂神社です。
当初の予定では、三条大橋にゴールしたのちに、御礼参りとして八坂神社に向かうつもりでしたが、御朱印が16時まで(以後は手書きではなく書置きになる)との情報で、途中で寄り道して参拝したというわけです。
ゴールする前に御礼参りをしてしまうのもおかしな話ですが、観光客で混雑していたため、結果的には先に行って良かったです。
1泊して翌日は、比叡山延暦寺を観光(実に30年ぶり)。
また滋賀県に戻った形になりましたが、山頂からの琵琶湖の風景や、市街地よりも少し早い紅葉を、楽しむことができました。
2022年5月に、ちょっと長めの散歩、と始めた旧東海道ウォーク。
最初、「かつて住んでいた」横浜市内(保土ヶ谷宿)までの日帰りでスタートし、その後は「かつての職場があった」平塚宿まで。ただ、このころは、まさか京都までなんて考えていませんでした。
その後、何となく「箱根の石畳は歩きたい」「富士山の近くまで」とだんだん先まで欲が出て、箱根を越えた三島あたりで、「時間をかけてもいいから、いつか京都まで」と思うようになり、仕事やお財布との兼ね合いをひねり出しながら計画を練り、真夏と真冬は避けていただため、1年半後の2023年11月にゴールとあいなりました。
四季が織りなす風景、教科書におそらく載らないような歴史上のトピックス、地域に根付いた産業や名産品、古民家や町屋の美しさ、各地で伝承されている数々の民話や言い伝え、自然が生み出す大きな力、などは、実際に訪れて見てみないとわからないことも多く、旅を通じて得たものはかなり大きいです。
次はどの街道を歩こうかと、今から楽しみです。
最後までお付き合いありがとうございました。