旧東海道ウォーク⑰ 由比宿→興津宿
2022年10月9日(日)。
東海道屈指の難所、薩埵(さった)峠を越える区間。風光明媚なはずですが、あいにくの空模様です。
1.桜えびといわし
2.寺尾・倉沢地区
3.薩埵峠
4.興津川
5.<第十七番>興津宿
6.清見寺・座魚荘
1.桜えびといわし
由比橋を渡り、旧東海道の歩行渡河だった地点まで下りました。
宿場町の由比を出ますが、その先には漁港町の由比が続きます。
漁港は旧道の左側(南側)で、家々が連なり眺めることはできませんでしたが、街が漁港の雰囲気に近づいてきた気がします。
由比と言えば、桜えびが有名。通りの名前にもなっていました。
ちなみに桜えびは、日本では蒲原と由比と大井川の3漁港でのみ漁獲が認められているという。10月上旬までは禁漁期間ということで、今日(10月9日)は早かったようです。
桜えびとともに、いわしやしらすも特産です。
創業400年以上という、蒲鉾やはんぺんのお店がありました。
地域の味を楽しみながら、西へ進みます。
別名「東海道の親不知」とも言われるくらい、断崖が海岸に迫る場所に、近づいて来ました。
2.寺尾・倉沢地区
ここからの旧東海道は、海岸線よりも一段高い場所です。
五十三次の宿場町でもなく、知られた観光名所でもない集落ですが、予想外に趣を感じることができた、まさに穴場でした。
この地区は、「ゆいバス」という自主運行バスが設定されていますが、月水金の3日だけ、5便運行というスケジュール。
この日は週末だったので見ることはできませんでしたが、この急坂では、通学の子供たちやお年寄りには、欠かせない足なのでしょう。
倉沢は、峠下の間宿として、脇本陣と十軒ほどの茶屋が並んでいたとのこと。名物はサザエとアワビという、なんとも贅沢な茶屋です。
脇本陣の向かい側に、西倉沢の一里塚跡があります。
いよいよ、薩埵峠に向かう上りが始まります。
3.薩埵峠
舗装はされており、みかん畑に向かう軽トラックが上り下りしています。
海側を見ると、崖にへばりつくように、東西交通の基軸ルートが絡み合っている風景が見られます。
東海道本線は、崖の最も下のわずかなスペースを確保。
国道1号は、その海側、護岸工事で海側へ伸ばしたスペースに、4車線が走る。
東名高速は、海上に建てた橋脚と、山を貫くトンネルで一気に進む。
ここが、「東海道の親不知」と呼ばれる地点というのも、納得です。
「薩埵峠」の碑が現れました。
ただ、このあともいくつも「薩埵峠」が現れ、本当のサミットはまだ先でした。
駿河湾を眺めながら、駐車場の片隅でで昼食休憩。
蒲原のコンビニで買ったおにぎりとお茶。
薩埵峠から興津宿までのルートはいくつかあり、江戸時代初期に整備された「上道」が、旧東海道として紹介されています。
ところが、この先のルートは崖崩れがあり、現在は通行止めに。
ちょうど「展望台」の場所でもあり、残念ですが仕方ないです。。
この先、「脇道」と呼ばれるルートを、しばらく辿ります。
このまま進めば興津宿へ出ますが、旧街道をなるべく忠実にたどるべく、再び山中へ入ります。
本来の旧街道に合流しました。
この先、山の斜面沿いの細い峠道となります。
道の両側に続く、薄寒桜。アメリカ・ワシントンに送られた桜の苗は、興津で生産されたもので、その時残った苗がここに植えられたとのこと。
長かった薩埵峠の山道も、ここで終了です。
4.興津川
興津川のほとりに出てきました。
通常は「徒歩渡し」、冬場は仮橋が架けられたとか。
水深によって料金が変わるのも、なるほどと納得です。
現代は、少し下流に架かる橋で渡るので、南下します。
興津の一里塚跡がありました。
興津宿の東木戸は残っていないようですが、このあたりから宿場になるようです。
5.<第十七番>興津
町中のすべて、というわけではありませんが、ところどころに旧家が残り、街道の雰囲気が感じられます。
街中の看板を観察しながら、進みます。
興津宿は、薩埵峠越えと興津川越えの要衝として、そして身延詣での追分として、栄えた宿場町。本陣は2軒ありました。
2つの本陣の中間の、道路反対側に脇本陣がありました。
現在は資料館を併設する旅館として営業中。碑だけが残る本陣よりも堂々としています。
この「小川梅吉式」、気になったのでHPを調べてみました。
1830年代に、鉄砲と丸鋸の製造として初代梅吉が開業。その後、みかん農家の剪定用などに改良し、今は七代目の娘婿が家業を継いでいるそうです。
時代の流れと地域のニーズに、マッチングさせているのですね。
6.清見寺・座魚荘
興津宿にある、見どころを2ヵ所、訪問。
1ヵ所めは、清見寺(せいけんじ)。
奈良時代の創建。足利尊氏、今川義元、徳川家康らにゆかりの名刹。
面白いのは、総門と本堂の間を、東海道線が通過しているという点。
東海道線建設時に境内の一部が鉄道敷地として召し上げられ、風景を損なう補償金が支払われたが、住職はそれを献納したといわれています。
明治天皇や大正天皇が、この寺にご滞在されたそうで、大正天皇が皇太子時代には近くの浜で海水浴を楽しんだとか。
つづいて2ヵ所めに訪問、坐漁荘(ざぎょそう)。
西園寺公望元老の別荘だったところ。
今は海岸線が後退していますが、かつては庭園の先が駿河湾だったようです。
興津宿の次、江尻宿へ向かいます。
天気予報通り、小雨が落ちてきました。日も傾き、先を急ぎます。
由比宿→興津宿
距離 9.2km
所要 3時間(昼食除く)
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