旧奥州街道ウォーク⑧ 越堀宿→芦野宿
こんにちは、ばーどです。
2024年5月5日(日)。
川を3本、峠を3つ越え、温泉のある集落へ向かいます。
1.富士見峠
様々な神様に見守られながら、歩き始めました。今日も快晴。
越堀から芦野までは「二十三坂 七曲り」と呼ばれた難所。その最初の難所がここ、富士見峠。標高295mと低いですが、ここまでほとんど平坦だったためもっと高く感じます。
名の通りかつては富士山が望めたようですが、街道からの見通しはききません。
2.与笹川
はしかが流行して多くの子供たちが亡くなり、この寺に埋葬されたそうです。
明治天皇の東北行幸、ではなく、現在の上皇ご夫妻が在位中に、平成10年の台風による大洪水で多くの犠牲者が出たこの地を訪問された碑です。
江戸中期の大飢饉による多くの餓死者を弔うため、信濃国から名工を呼んで建てた地蔵尊。
何かと災難が続いた地ですが、平穏が続くことを願いたいです。
当時は地蔵尊の近くから土橋が架けられていたが、しばしば流されて川越人足による渡しが行われたようです。
3.弁慶の足踏み石
右端の、牛の形をしたものは「畜魂碑」。
人の食料となったり、人の生活を支えてくれた、尊い家畜の魂に感謝を示す碑。しっかりと手を合わせてきました。
左端の馬頭観音碑には、草履の足跡のようなくぼみがあり、「弁慶の足踏み石」と呼ばれています。
1989年開業の、バイク専用のサーキット場。当初はバイク用品メーカーが建設したが、現在はバイク販売会社の「レッドバロン」経営しています。
4.黒川
当時はこのまま直進で川を越えて、直進して正面の森を抜けたと思われます。
越堀宿から、峠越え→川越え→峠越え→川越え、と進みました。
あともうひとつづつ、峠越えと川越え。
5.夫婦石の一里塚
この合流地点の少し手前に、夫婦石をご神体とする神社があるそうです。
3つめの峠の頂上付近に、江戸から四十二里めの一里塚がありました。
その名のとおり、靴やサンダルが奉納?されています。
芦野の地名の由来は、もしかしてここ?
6.<第八番>芦野宿
芦野宿は、鎌倉時代より芦野家が治める地で、奥州街道が整備される際に領内に街道を引き込んで宿場町を形成したと言われています。
町はずれには湯治場の雰囲気を残す温泉がありますが、街道から少し離れていて、残念ながら宿場町の中の集落では温泉を感じることはできませんでした。
芦野宿の江戸口と白河口には、お地蔵様が建っています。どちらも当時の旅人を見守り続け、今の地元の方々からも大事にされている様子がうかがえます。宿場の前後には枡形も残っており、これも街道ウォーカーにはうれしいです。
日光街道の野木宿から足掛け5日かけて歩いた栃木県。ここが県内最後の宿場。
次は県境を越え福島県、白坂宿へ。
越堀宿→芦野宿
距離 8.8km
所要 2時間20分(休憩除く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?