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歩かない“街道ウォーク”① 新宿区歴史博物館(内藤新宿)

こんにちは、ばーどです。
寒いこの時期は、街道ウォークを中断中。
その代わり、慌ただしく通り過ぎてしまった、街道に関する史跡や資料館を巡ることにしました。
最初に訪れたのは、甲州街道近くの新宿区歴史博物館(2025年2月7日 (土))。



1.資料館まで

旧甲州街道ウォークは、2024年6月に日本橋を出発し、下諏訪宿には11月に到着。215kmを8日半かけてゴールしました。
最初の宿場である内藤新宿は、その初日に到達通過してますが、予想通り混雑と30℃近い暑さで、そのまま通り過ぎてしまいました。
後日、新宿区の資料館に当時の資料が展示されていると知り、今回訪れてみることになった次第。

最寄駅は東京メトロの四谷三丁目駅

繁華街に近い新宿駅やからは、ちょっと離れた場所にあったのですね。
この交差点の西側に、内藤新宿の東口にあたる“四谷大木戸”がありました。

甲州街道(国道20号)を日本橋方面へ

そのときは確かにこの道を歩いてますが、宿場の手前だったので、そのまま通り過ぎてしまった記憶があります。

脇道にも歴史を感じさせる

街道の北にある全勝寺の門前にあたる道。
杉並木があることから杉大門通りと呼ばれていたらしい。

飲食店の看板が続く
四谷荒木町の飲食店街
次の道は車力門通り
入口には荷車(人力車?)の飾り

このあと国道(甲州街道)から北に折れて、住宅街の中をしばらく進みます。


2.新宿区歴史博物館

博物館の外観
エントランス

1989年に開館、新宿区全体の歴史的な郷土資料を展示しており、甲州街道や内藤新宿に関する展示は、ほんの一部でした。
しかも、撮影できるスポットが4か所に限定されていて、ここで紹介できないのが残念。

内藤新宿の復元模型

写真の奥が日本橋方向で、今回写真が撮れませんでしたが、東口にあたる四谷大木戸の石垣もありました。

実際の街道沿いに残る大木戸跡

宿場に入ると、南側(写真の右側)に玉川上水と内藤家の屋敷があります。

玉川上水が宿場と屋敷の境になっている

内藤家は信州・高遠藩主で、この地に宿場を設ける際に屋敷の土地を一部提供したとされています。
内藤さんの土地に新しく設けた宿場⇒内藤新宿、というわけですね。
ちなみに、甲州街道を参勤交代に利用したのは、信州の高遠藩(伊那市)・高島藩(諏訪市)・飯田藩(飯田市)の3家だけでした。

内藤家屋敷跡は、今の新宿御苑

宿場の中央あたりの北側(写真の左側)には、内藤家の菩提寺で、現在も残る太宗寺があります。

太宗寺の本堂

宿場をさらに進むと、甲州街道と青梅街道の分岐点、新宿追分です。
甲州街道が右折し、直進するのが青梅街道。
復元模型の写真にに色を付けてみました。

赤=甲州街道、青=青梅街道

街道の分岐や合流地点は、当時もおそらく一等地の扱いで、茶店や旅籠が集中していたのではないでしょうか。
実際に歩いた記録の投稿でも、その一等地に今も建つ、老舗デパートの伊勢丹と追分だんごの写真をアップしています。

現在の追分 甲州街道が右折する
今も昔も人気 追分だんご
追分交差点に刻まれたマップ
展示の様子

復元模型の隣には、江戸時代から明治時代にかけての蔵づくりの商家が建てられていました。

蔵造の商家

その先には、新宿区にゆかりの文人たち(夏目漱石、林芙美子など、かなりいます)の資料、かつて区内を走っていた路面電車、昭和初期から戦後にかけての繁華街・新宿の歴史が展示されていました。
街道の宿場町が、その後の交通ターミナルとして栄え、文化や娯楽の中心として栄えた歴史を、興味深く感じることができます。

かつての路面電車 中に入れる

1時間ほど見学し、その後はJR四ツ谷駅まで歩いてみました。

四ツ谷駅前にある、四ツ谷門跡の説明板

実際の街道を歩くのとは違った視点で街道の歴史を振り返ることができ、新たな“街道との触れ合い”になりました。

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