旧甲州街道ウォーク㉘ 栗原宿→石和宿
こんにちは、ばーどです。
2024年10月19日(土)。
東京から100km越えと遠くなり、日も短くなったので、今回から1泊2日で計画。今週末で、山梨県の残りを踏破します。
0.スタート地点まで
自宅のある都内から、中央本線で西へ。
このスタイルは変わりませんが、降りる駅が、高尾→四方津→初狩とだんだん西に動きます
笹子峠の麓、笹子駅。かつては“笹子餅”の売り子がいたそうですが、今は無人駅。ハイキングのグループが降りていきます
2週間前に笹子峠を歩いて越えたときは、峠の手前が雨、越えた甲府盆地は晴れてしたが、今日はどうでしょう
今回は、甲府盆地側が曇りでした。
今日も富士山は見えない感じですが、暑くならないのは、ありがたいです
1.一町田中村・南田中村
山梨県の旧制中等学校制度下で設置された三校のひとつ。一中が甲府第一高校、二中が日川高校、一中分校が都留高校。
ちなみに、ここはプロレスラーのジャンボ鶴田、日大理事長の林真理子の母校です。
一町田中(いっちょうたなか)という地名が、気になります。
この先で渡る日川を挟んで北田中村と南田中村という地名だったそうですが、北が「一町田中」に改められた経緯は不明です。町(ちょう)という広さの単位と何か関係あるのでしょうか?
旧街道はこの交差点を左折、国道411号を離れます。
かつての旧道はここから正面に渡河してましたが、今は渡れず。
現代の橋がある右側へ、迂回します。
堤道の右側、下に下りる細い階段があり、ここを進みます。
川を渡り、旧南田中村に入りました。
江戸から三十二里目、南田中の一里塚があった場所は不明だそうです。
2週間前、勝沼宿から栗原宿へ歩いたときは、ぶどう狩りが賑わってました。季節が一気に進んだようですね。
かなり大きな碑です。
下の説明書きによると、村議会議員・選挙管理委員などを歴任、温厚篤実、軽妙酒脱、人間最高の姿、無限の人間味・・・とあります。
村人に愛された方であることは、間違いなさそうですね。
2.笛吹川
さきほど渡った日川と重川が、笛吹川に合流。その堤沿いの道を進みます。
朝の散歩をする老夫婦に声をかけられ、甲州街道ウォークしていると説明。
今日はどこまでと尋ねられ、韮崎と答えると、奥様は悲鳴を上げてました(笑)。ご主人からは、がんばれよー、と一言。嬉しいですね。
笛吹川は時代とともに流路が変わり、甲州街道のルートも変化しています。
江戸中期の街道は、この辺りから現在の川の中へと進んでいたようです。
笛吹市は、2004年に6町村が合併して誕生。2006年度の自治体別の収穫量では、桃とぶどうの2つで全国1位でした。
江戸中期のルートとは、この辺りで合流します。
3.<第三十八番>石和宿
笛吹市や笛吹川の由来となるのは、笛吹権三郎の伝説。その主人公の像の一つが、街道沿いにありました。
父を探してこの地に来た権三郎と母は、大洪水で家ごと流されてしまい、母が行方不明に。母の好きだった笛を吹きながら、必死に母を探しますが、疲れ果てた権三郎も川に落ちて亡くなってしまいました。その後も川の音が笛のように聞こえることから、笛吹川と呼ばれるようになったそうです。
住宅や畑に囲まれた細い路地のような道を、進みます。
ぶどう棚には、収穫されない実が残っている幹があり、枝付きレーズンを作っているのでしょう。
東京からも近い温泉として有名な石和(いさわ)ですが、温泉街としてのスタートは昭和30年代と、つい最近のこと。ぶどう栽培の井戸を掘ると臭いがしたのがきっかけとは、山梨県らしいですね。
ということで、宿場町としての石和は、湯治場でなかったわけです。
石和の鵜飼の歴史は古く、笛吹川がかつては鵜飼川と呼ばれたこともあるそうです。その鵜の供養塔が、境内にありました。
せっかくの碑と説明板。ネットフェンスは、その後ろに設置してほしい。
ちなみに、江戸から三十三里目、石和の一里塚があった場所は、不明だそうです。
石和温泉に来ても入浴できないので、せめて足湯だけでも、と街道沿いの小林公園で休憩。
小林公園は、石和銀行取締役や、のちに日本開発銀行総裁をつとめた小林中氏の旧邸宅跡の公園。
街道は直進ですが、右へ曲がって駅まで寄道します。
街道に戻ります。
この橋を渡ると甲府市に入ります。
石和宿の次は、甲府柳町宿。
栗原宿→石和宿
距離 6.8km
所要 1時間45分(休憩除く)
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