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旧東海道ウォーク⑫ 三島宿→沼津宿

2022年10月8日(土)。
7月に箱根越えを達成し、その後の酷暑明けの9月に再開予定でしたが、台風接近で延期し、結果的に3カ月ぶりのチャレンジとなりました。
静岡路を、西に向かいます。

0.三島への道
1.千貫樋
2.伊豆と駿河の国境
3.伏見の一里塚
4.対面石
5.沼津の一里塚
6.<第十二番>沼津宿


0.三島への道

三島までは、新幹線で向かいます。
今日は3連休の初日。朝からかなりの混雑です。

東京発6時57分、こだま703号に乗車
朝食は車内で。駅の売店も混雑、買うのに10分かかりました。
三島着、7時50分。
伊豆箱根鉄道にのりかえ。
1駅乗って、三島広小路に到着。
駅の脇にある、広小路踏切が、今日のスタート。

前回、三島宿の本陣跡を通過し、この駅まで歩きましたので、ここから始めます。時刻は8時5分。


1.千貫樋

左方向が旧道。
旧道沿いに最初に出会ったお社に、道中無事を祈願。今日はこの秋葉神社で。

久々の旧街道ウォーク。それなりに雰囲気のある店が現れ、旅の情緒を感じさせてくれます。

くず湯のお店。
こうじ(麹)のお店。
石造りの立派な蔵を持つ、米屋。

しばらく進むと、「千貫樋」の案内板が、見えてきました。

上にかかるコンクリートの樋(とい)。

16世紀、今の三島市側から隣の清水町へかんがい用水路を引く際に、境川を跨ぐために設けた樋(とい)。関東大震災で崩れるまでは、木製だった。かかった費用が千貫だったとか。

千貫樋が跨ぐ、境川。右が三島市、左が清水町。

2.伊豆と駿河の国境

境川を越えて、清水町へ入ります。
静岡市と合併した旧清水市とは別ですが、かつては同じ県内に、清水市と清水町があったのですね。
同様の例は、今も6県7か所あるそうです。高知県は、土佐市と土佐町、四万十市と四万十町が、あるとか。

柿田川湧水は有名

ここは、旧国名で言えば、伊豆と駿河の境。つまり、三島市は伊豆国、清水町・沼津市は駿河国というわけ。
三島と沼津。隣り合っているが、実はライバル的な要素が幾つかありそう。

三島は伊豆国一宮である三島大社がある門前町。一方の沼津は駿河国の城下町で、海にも面するため物資の集散地として発展。
明治22年、東京大阪を結ぶ鉄道幹線が現御殿場線経由で開業したときには、三島を通らず、沼津駅が開業。2年後に三島の北方の長泉町に(初代)三島駅が開業したが、場所は駿河国内。昭和9年に丹那トンネルが開通して、現在の三島駅が開業。
昭和44年、3月には東名高速に沼津ICが開業したが、三島は通らず。翌4月には東海道新幹線に三島駅が誕生したが、沼津に駅はなし。

旧道は、伊豆国から駿河の国へ。

3.伏見の一里塚

今回の旅で、最初の一里塚が現れました。
両側に塚があり、どちらも寺の境内にあります。

北側の「玉井寺の一里塚」は、原型をとどめています。
但し、塚の上の木はすでに枯れたのか、枝も葉も短くなっています。

南側の「宝泉寺の一里塚」は、昭和60年に復元され、寺の駐車場の一角にあります。

両方を合わせて、「伏見の一里塚」と呼ばれています。江戸から二十九里目。


4.対面石

今歩いている道は、現在では県道145号線と名付けられ、国道1号などとは区別されていますが、地元では「旧道」「新道」のほうがわかりやすいようです。

旧道に面した広場。
路線バスの経由も「旧道経由」と表記。

場所柄、源氏にまつわる神社や旧跡が多いのも、この辺りの特徴。
八幡神社には、源頼朝と義経が対面したときに腰を下ろしたとされる「対面石」があります。

二の鳥居と、太鼓橋
本殿
これが、対面石。

神社を出て、北の方角を見ると、富士山の頂が顔を出しています。
今朝、三島駅で見たときには、裾野だけしか見えませんでしたが、今は逆になってます。

でも、全身は見せてくれない。
松並木がわずかに残っていました

神社を出て、黄瀬川を渡り、清水町から沼津市に入ります。

黄瀬川は、ここの少し下流で、狩野川に合流します。
注 実際にはこの場所には表示が見当たらず、別の場所の画像です。

5.沼津の一里塚

右側に、「沼津藩傍示石」なるものが現れます。

「従是西 沼津領」

沼津藩の領土を明確にするために設置したもので、この先の西側にも設置してありました。
当時は、治水権や収穫できた石高などが絡み、また水害で境界の川が氾濫するなど、藩領を確定させる必要があったのでしょう。
国境紛争は、今も各地で続きます。

柿が色づいてました
みかんは、まだ青かった
久々に現れた、このスタイルの「旧東海道」表示
県道380号線に合流。左方向へ。

沼津に向かって、緩やかに下り坂です。江戸時代は切通しになっていて、右に見える富士山がいったん隠れる「隠れ富士」と言われたのが、この場所。
今は切通しの上に商業施設が建っているので、見えにくくなったとか。

SEIYUの左方向に、かすかに富士の山影が。
小社の交差点で、左の脇道に入ります。

黄瀬川が合流した狩野川沿いに進みますが、堤防に守られていて、川影は見えません。

昭和33年に上陸した「狩野川台風」では、修善寺周辺で狩野川が氾濫し、同地域で800人以上の死者行方不明者が出るなど、甚大な被害がもたらされました。(最低気圧877hPaは、当時の世界最低記録)
その後、隆起の治水工事や狩野川放水路の整備が進んだようです。

堤防の脇にある、平作地蔵。川の氾濫で何度も流されたとか。

平作地蔵の脇には「沼津垣」が保存されています。
強い潮風が吹く町を守るため、箱根に自生するメダケを編んで作られた、地域の伝統的な工法だそうです。

地域名が入る垣は、沼津垣と大津垣のみ

江戸から三十里目、「沼津の一里塚」が見えました。

地元のご老人が、草刈りをしています。お疲れ様です。
説明板

実際の三十里目は、この先の沼津宿内にあるのですが、それを避けて宿場外のここに設けたとか。だから、前の塚から一里は進んでないのです。


6.<第十二番>沼津宿

再び県道380号に合流
沼津の市街地に、入ってきました。

三園橋の交差点を過ぎると、旧東海道は左に折れます。
標示はありませんが、道が鍵手になっているので、この辺りが沼津宿の東木戸だと思われます。

川廓通り、と名付けられています。

右手の中央公園は、かつての沼津城跡。
城下町のイメージが無かった沼津ですが、東海道と狩野川が通じる交通の拠点であるこの地に、武田勝頼が築城したそうです。

本丸城址
沼津城の説明。複雑な歴史があるようです。
狩野川が駿河湾にそそぐ場所に位置しています。
旧東海道は、城の南側を迂回しています。
石畳風
マンホール
ここを左に曲がり、南に向かいます。
沼津リバーサイドホテルの入口に残る、沼津城石垣。
県道159号を進みます
通横町の交差点を、右へ。
「とおりよこちょう」と読みます。
陸路・水路・海路が通じる、にぎわいの場だった
50m先を左へ

通横町交差点から50m、本町交差点をすぐ左へ。
クランク状に進んで、本町に入ります。
その名の通り、かつての宿場町の中心地で、3軒の本陣と脇本陣が並んでいた場所です。

本町バス停
高田本陣跡。通過時刻は10時ちょうど。三島から約2時間。
中村脇本陣跡
清水本陣跡
間宮本陣跡
最後の間宮本陣跡から、本町を振り返る。東海バスと伊豆箱根バスが続く。
清水本陣跡の先を、右(西)へ。
煎餅屋さんの店先
浅間神社。源義家が社殿を建立。
沼津の名所、千本浜への分岐。
千本浜道の表示

沼津宿の西木戸があったとされる場所。
町名はずばり、出口町。沼津宿の出口になります。

次の原宿までは、県道163号をそのまま直進し、西へ向かいます。

三島宿→沼津宿
 距離 6.0km
 所要 1時間55分

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