旧東海道ウォーク㉚ 浜松宿→舞阪宿
2023年4月8日(土)。
名物のウナギや餃子を食すことなく、浜名湖の東岸、舞阪宿を目指します。
1.二つ御堂
2.旧可美村
3.篠原
4.長池の松並木
5.<第三十番>舞阪宿
1.二つ御堂
浜松宿の西木戸(京見附)付近で昼食をとり、ウォーク再開。
一里塚跡を過ぎると、道の両側に二つのお堂が向い合せに建っています。
「二つ御堂」です。
なぜ二つなのか?、奥州藤原氏ゆかりのお堂がなぜ遠州に?
その理由は、この下をご覧ください。
平安時代に奥州平泉と京を旅するなんて、想像もつかない壮大なドラマのよう。時空を超えた話が、道端のお堂に残されている、なんともすごいこと。
2.旧可美村
旧可美村は、1991年に浜松市に合併。
浜松市はその後も次々と周辺市町村を合併、2007年に政令指定都市に。
碑のすぐ近く、可美小学校にかつてあった「みたらしの池」。
説明書きを読んでみると、最初は池を復活させる地元民の愛を感じる文章だが、最後の「運動会の雨」の話は、なんとも言えないオチを感じます。
大企業SUZUKIから税収を得ていた可美村は、長らく浜松市との合併に乗り気でなかったが、道路整備が村に入ると途切れたり、ごみ処理の広域連携の必要性が生じて、ついに合併を決断。
平成以降の数多くの合併にも、裏には様々な事情があります。
なお、浜松市の拡大の変遷がわかるサイトがありましたので、紹介します。
数十年という年月を跨いだ、正直者の心温まるお話。
これも時空を超える規模の伝承話です。
3.篠原
篠原集落に入ります。
かつては篠原村で、1961年とかなり早く浜松市へ合併しています。
明治元年、明治天皇が京から江戸(→東京)へお移りになる道中は、東海道を23日かけての長旅でした。
道中の休憩ポイントは「野立所」として、旧跡となっています。
4.長池の松並木
舞阪宿に入る手前に、松並木が続く区間があります。
300本以上の松が残っていますが、最盛期にはその4倍以上だったと聞くと、当時の壮大な風景を思わずにはいられません。
松並木の終点、西入口には、可愛らしい「浪小僧」の像が待っていました。
「遠州地方の七不思議」のひとつと言われる、いわゆる妖怪ですが、ここの波小僧は愛らしい表情です。
5.<第三十番>舞阪宿
15世紀の大地震で太平洋とつながった浜名湖。この開口部を「今切」と呼び、江戸時代の東海道の旅人は、舞阪宿と対岸の新居宿の間を「今切の渡し」で行き来していました。
舞阪宿が近づくと、港の雰囲気が感じられるようになります。
舞阪宿の脇本陣は、東海道で唯一残る脇本陣遺構で公開しているのだが、この日は営業時間を過ぎていたため、残念ながら外観のみの見学です。
舞阪宿の渡船場は3か所。
旧東海道が右折する角にあった「本雁木」は、庶民の渡船場にあたる。
街道から南に外れた「南雁木」は、荷役用の船着き場。
もうひとつの「北雁木」は、大名や幕府役人用の渡船場となり、明確にすみ分けされていたようです。
この先は、浜名湖の「今切」を歩いて渡ります。