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旧東海道ウォーク㉚ 浜松宿→舞阪宿

2023年4月8日(土)。
名物のウナギや餃子を食すことなく、浜名湖の東岸、舞阪宿を目指します。

1.二つ御堂
2.旧可美村
3.篠原
4.長池の松並木
5.<第三十番>舞阪宿


1.二つ御堂

浜松宿の西木戸(京見附)付近で昼食をとり、ウォーク再開。

菅原町の交差点を、斜め左に進む
東海道本線の高架下をくぐる
すぐに国道257号、右折
西浅田北交差点 道なりに斜め左に
次は新幹線の高架をくぐる
高架下のバス停は、身長低め
YAMAHAとSUZUKI、どちらも浜松が発祥の大企業
共水うなぎ 大井川の伏流水を使ったブランドうなぎ
若林の一里塚跡 江戸から六十六里目
説明板

一里塚跡を過ぎると、道の両側に二つのお堂が向い合せに建っています。
「二つ御堂」です。
なぜ二つなのか?、奥州藤原氏ゆかりのお堂がなぜ遠州に?
その理由は、この下をご覧ください。

『二ツ御堂(ふたつみどう)』 こんにちは。 南区リポーターの区振興課、藤原です。 だんだん朝夕は過ごしやすくなってきて、なんだか一安心・・・ とはいえ気温の差で体調を崩さないように、皆さん大切にお過ごしください。 先日、南区東若林町に...

Posted by みなみる(浜松市南区役所) on Sunday, September 11, 2016
北側のお堂にある、説明板
北側のお堂、全景
南側のお堂

平安時代に奥州平泉と京を旅するなんて、想像もつかない壮大なドラマのよう。時空を超えた話が、道端のお堂に残されている、なんともすごいこと。


2.旧可美村

国道257号線の標識
東海道の標識
名残松 太平洋からの強風に耐えてます
浜松市・可美村 合併記念碑

旧可美村は、1991年に浜松市に合併。
浜松市はその後も次々と周辺市町村を合併、2007年に政令指定都市に。

碑のすぐ近く、可美小学校にかつてあった「みたらしの池」。
説明書きを読んでみると、最初は池を復活させる地元民の愛を感じる文章だが、最後の「運動会の雨」の話は、なんとも言えないオチを感じます。

運動会が雨になるたびにうらまれるのは、なんとも言えない。
熊野神社
秋葉山常夜灯
スズキ入口バス停
遠くに、SUZUKI本社のマークが見える

大企業SUZUKIから税収を得ていた可美村は、長らく浜松市との合併に乗り気でなかったが、道路整備が村に入ると途切れたり、ごみ処理の広域連携の必要性が生じて、ついに合併を決断。
平成以降の数多くの合併にも、裏には様々な事情があります。
なお、浜松市の拡大の変遷がわかるサイトがありましたので、紹介します。

堀江領境界石
高札場跡
麦飯長者跡

数十年という年月を跨いだ、正直者の心温まるお話。
これも時空を超える規模の伝承話です。

熊野神社の赤鳥居
さわやか浜松高塚店
高塚西バス停の辺りで、旧東海道は右側道へ

3.篠原

篠原集落に入ります。
かつては篠原村で、1961年とかなり早く浜松市へ合併しています。

立場跡 明治天皇の休憩所にもなった
東神明宮
古い蔵が残されている
篠原の一里塚跡 江戸から六十七里目 個人宅の庭先に立つ説明板
高札場跡 キリシタン禁止のお触れ
すてきな建物
東海道本線の貨物列車が、すぐ脇を通過
篠原特産 新玉ねぎ
神仏隣り合わせ 左=光雲寺、右=愛宕神社
ここでも明治天皇休憩

明治元年、明治天皇が京から江戸(→東京)へお移りになる道中は、東海道を23日かけての長旅でした。
道中の休憩ポイントは「野立所」として、旧跡となっています。

稲荷神社 赤鳥居

4.長池の松並木

舞阪宿に入る手前に、松並木が続く区間があります。

クリニックの名前にもなるほどの松並木
立派な蔵
西本願寺 海中より漁師の網にかかった釈迦尊を安置
松並木の東入口
街道らしい風景
松並木の中の常夜灯

300本以上の松が残っていますが、最盛期にはその4倍以上だったと聞くと、当時の壮大な風景を思わずにはいられません。

南側の歩道には、五十三次の宿場の石碑が続く 戸塚宿
箱根宿
北側の歩道には、十二支の動物の石像が並ぶ
舞阪の風景を描いた浮世絵のレリーフ
舞阪宿の石碑も
周囲は住宅街 これまでの松並木とは雰囲気が違う
五十一番目の石部宿 ここだけ色が違った
京の三条大橋 たどり着くのはいつだろう

松並木の終点、西入口には、可愛らしい「浪小僧」の像が待っていました。

「遠州地方の七不思議」のひとつと言われる、いわゆる妖怪ですが、ここの波小僧は愛らしい表情です。

この笑顔がいい
京も松並木と空を眺めている
新町の交差点 国道301号を斜めに横断
左の道を、舞阪宿へ進む

5.<第三十番>舞阪宿

15世紀の大地震で太平洋とつながった浜名湖。この開口部を「今切」と呼び、江戸時代の東海道の旅人は、舞阪宿と対岸の新居宿の間を「今切の渡し」で行き来していました。
舞阪宿が近づくと、港の雰囲気が感じられるようになります。

舞阪宿の東見附 石垣が保存されている
ここからが舞阪宿
すぐ先に、舞阪の一里塚跡 江戸から六十八里目
一里塚跡と常夜灯の説明板
道の反対側の小公園で休憩
舞阪宿の絵図 一軒一軒が書かれている こちらが東側
こちらは西側 本陣がある
かつては海苔の養殖で知られ、その後しらすも名産となっている
昔ながらの海産物を扱う商店だろう
舞阪宿の風景 正面が浜名湖
宮崎本陣跡 16:25着
脇本陣 立派な造り
説明板

舞阪宿の脇本陣は、東海道で唯一残る脇本陣遺構で公開しているのだが、この日は営業時間を過ぎていたため、残念ながら外観のみの見学です。

西町常夜灯
浜名湖に到達、旧東海道は右折

舞阪宿の渡船場は3か所。
旧東海道が右折する角にあった「本雁木」は、庶民の渡船場にあたる。
街道から南に外れた「南雁木」は、荷役用の船着き場。
もうひとつの「北雁木」は、大名や幕府役人用の渡船場となり、明確にすみ分けされていたようです。

本雁木跡の説明板
北雁木跡の碑 眼の前に広がる浜名湖
説明板
復元された常夜灯
北雁木跡の風景
浜名湖沿いに進む 交差点を左へ

この先は、浜名湖の「今切」を歩いて渡ります。

最初の橋は、弁天橋
弁天橋の手前の常夜灯 舞阪宿はここまで

浜松宿→舞阪宿
 距離 11.3km
 所要 3時間10分(休憩除く)

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