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旧甲州街道ウォーク⑱ 上鳥沢宿→猿橋宿

こんにちは、ばーどです。
2024年9月8日(日)。
犬、鳥、猿…。
十二支を逆に進むように、次は猿橋宿へ。



1.横吹沢

国道から右の脇道へ
三栄工業 空調設備の部品製造
街道の風景
道なりに左へ
突き当たりを左へ
相模川水系 横吹沢

山梨県でも、甲府盆地を中心とする中央部は、富士川水系。
現在いる大月や上野原は、桂川から相模湖を通る、相模川水系。
県北東部の一部は、東京・奥多摩湖の上流にあたるので、多摩川水系。
富士五湖のうち、山中湖以外の4つは、流出する川が無い内陸湖。

見事なお手入れ具合
国道20号に合流
街道沿いの家々の背後は山が迫る

この写真の家の裏が築堤になっていて、かつての中央線の旧線が走っていたようです。

街道沿いの蔵
街道沿いの門

2.宮谷

旧道は街道から右へ分岐
左の「この先行き止まり」へ進む
果たして抜けられるだろうか
行き止まりの先、下りの土道を進む
国道に合流、右へ
宮谷橋
釣りの店 ウルトラファミリーが勢ぞろい
よく見ると桃太郎やアンパンマンも
歩道が無いので、いったん側道を下る
その先を上る 結構きつい
宮谷交差点を左の道へ
また下る・・・
スクールバス用の富士急バスが休憩中
国道に合流 左へ
東京から90km

3.日本三奇橋 猿橋

左の側道から「SUZUKI」を回り込むように
再び国道に合流 横断して直進
街道の風景
石段の上 大月市立猿橋中学校
北都留郡役所跡

「日本三奇橋」というのがあるそうで、山口県の錦帯橋、富山県の愛本橋、そして山梨県の猿橋、の3か所という説が有力。このうち、愛本橋は現在ではコンクリート製の橋に架け替えられたため、徳島県のかずら橋(祖谷)や長野県の木曽桟を入れているケースもあります。
猿橋の起源は定かではありませんが、西暦600年頃に建設されたと言われ、その後何度か架け替えられたが、江戸時代の甲州街道のルートでもあったこの橋を、大名も渡っていたことになります。

左の柵から下に下りる
下へ下りる階段
猿橋 江戸側
橋の上だけ見ると普通の橋だ
桂川の上流
桂川の下流 手前の橋は発電所への水路
猿橋 諏訪側

渡るだけだと、眺めの良い普通の橋ですが、渡り切って横から見ると、その変わった構造がわかりました。

岸の岩盤に穴をあけて、屋根付き刎ね木を重ねて伸ばし、その上に橋桁を載せるという建造方法。
猿の群れがつかまり合って対岸へ渡る姿を見て思いついたということから、猿橋の名前がついています。

説明板
大月市のマンホールにも描かれている

なお、甲州街道が桂川を渡るのはこれが最初。初めて南岸に出たわけです。

土産物屋の脇から国道へ続く道
国道20号を右折

4.<第二十四番>猿橋宿

猿橋宿は、橋を渡った先に続いて比較的賑わった宿場だったようですが、その痕跡はあまり残っていません。

猿橋宿の風景
富士急バスの営業所
大月市郷土資料館への案内
馬頭観音と交通安全碑
殿上下宿バス停 13:00

殿上(とのうえ)は字名(大月市猿橋町殿上)。
宿場町の痕跡は残っていなくても、下宿という宿場らしい名称と出会い、想像が広がります。

猿橋郵便局
上野原市に本社があるスーパー 公正屋(開業準備か)
三嶋大明神
現代の茶店で水分補給
青面金剛像碑
枡形の痕跡
阿弥陀寺

猿橋宿の西口に当たる阿弥陀寺の参道脇に、殿上の一里塚跡を示す木柱がある、と資料にありますが、見あたりません。
他の方のブログに、倉庫の前の石碑と並んで立っている写真があり、それらしきものが発見できましたが、字がすっかり消えてしまい、ただの棒でした。

殿上の一里塚跡碑? 江戸から二十三里め

上鳥沢宿→猿橋宿
 距離 4.1km
 所要 55分(休憩除く)



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