旧日光街道ウォーク⑩ 古河宿→野木宿
こんにちは、ばーどです。
2024年2月28日(水)。
古河宿から野木宿は、わずか2.7km。あっという間です。
1.茨城・栃木県境
古河宿の日光口で、県道に合流します。
松波や松浪ではなく「並」を用いていることから、ここもかつては松並木がつづいたのではないでしょうか?
塩滑(しおなめ)地蔵の入口。(お堂は自家用車の奥)
お地蔵様の、自分の治したいところに塩を塗ると、治るという言い伝え。
以前沖縄に住んでいたとき、台風続きで外干しができないときなど、御世話になったことがあります。
その時は沖縄県内に本社があったのですが、今は宇都宮に移転してます。
店舗も北海道から沖縄まで、全国展開してますね。
家電量販店の北関東YKKトリオのひとつ、ケーズデンキ。
最新の売上高データで見ると、
1位 ヤマダデンキ(高崎市)
3位 ケーズデンキ(水戸市)
8位 コジマ(宇都宮市)
と、上位をキープしているようです。
明治期に埼玉県小川町に創業した「八百幸」が、戦後に食品スーパーに転換。北関東を中心に店舗を広げ、現在は1都6県に約180店。東京にも10数点あるが23区内にはゼロ。
この店舗も、広大な駐車場をコの字型に囲んで、テナント店舗が続いている、郊外特化型の市場ですね。
資料によれば、この辺りが下総国と上野国の国境だった場所で、google Mapでも、ヤオコーの敷地内を茨城・栃木の県境が走ってます。
せっかくなので、街道を外れ国道4号バイパスに出ると、案内表示ありました。
再び日光街道(県道)に戻ります。
野木神社まで約1km続く参道。今の季節は葉が落ちてますが、両側の木々が沿道を彩ると素晴らしい風景だと思います。
神社にはのちほど参拝することにして、街道を進みます。
明治21年に旧下野煉化製造会社が設立され、翌年にレンガの製造を開始。
旧古河藩主や城下の豪商の出資、隣の旧谷中村で産出する上質な粘土、渡良瀬川・利根川の舟運による輸送など、条件がそろったことが立地に繋がったようです。製造されたレンガは、東京駅や日光金谷ホテルなどにも使用されています。
街道から少し離れているので、今回は訪問しませんでしたが、歴史的な煉瓦窯とメタセコイヤ並木の風景が素晴らしいようで、ぜひ訪れたいです。
「延絵図」と呼ばれるものは、江戸時代に幕府が作成した街道沿いの詳細な絵地図です。
資料館の展示やパンフレットで見る機会が多く、当時の製図技術の細かさは驚きです。
東海道についての記事ですが、下に紹介しておきます。
2.野木神社
野木町は、古河宿からの距離は近いですが、利根川の支流である渡良瀬川、さらにその支流の思川に最も近く、河岸が整備されて江戸との舟運の発着地になっていた場所です。
しかし、街道沿いには宿場町を感じさせる遺構がほとんどありません。
ここから街道を離れて左に折れ、野木神社へ向かいます。
坂上田村麻呂が蝦夷征伐の帰路に立ち寄り、その後現在の場所に遷座したという、非常に歴史のある神社です。
ここは、フクロウが営巣する神社としても知られ、狛犬の横には「狛フクロウ」の像もあります。ただし、姿を見せることはほとんどなく、神社の方も普段は声しか確認できていないそうです。
この地とつながりはないのですが、名前の読みが同じ陸軍大将、乃木希典が、日露戦争の戦勝祈願でサーベルを奉納したという逸話があります。
神社でしばし休憩し、街道に戻ります。
3.<第十番>野木宿
前にも書きましたが、野木宿遺構はほとんど残されておらず、注意深く見ていないと通り過ぎてしまいます。
日光例幣使街道は、中山道の倉賀野宿(群馬県高崎市)と日光を結ぶ街道。京の朝廷が日光へ奉納に向かう使い(例幣使)を送り、中山道とこの街道を使ったことから、名がつけられました。
江戸からの日光へ向かう際に、小山や宇都宮を通らないルートとしても使われたようです。
野木宿の次は、間々田宿。このまま国道4号を進むルートです。
古河宿→野木宿
距離 2.7km
所要 45分(休憩除く)