旧日光街道ウォーク⑥ 杉戸宿→幸手宿
こんにちは、ばーどです。
2024年2月17日(土)。
杉戸宿の次は、幸手宿。
日光街道の埼玉県内区間で、ほぼ中間を越えましたね。
1.茨島の一里塚
杉戸宿を抜け、しばらくは旧道です。
埼玉りそな銀行の前身、杉戸銀行の創設メンバーのひとりだそうです。
間もなく旧道は、国道4号に合流。
(合流地点の写真を取り忘れ…)
ペコちゃんとポコちゃんが屋根の上に座って、ほほえましい。
競争が激しい洋菓子業界でも、不二家は47都道府県に店舗を持っています。
ちなみに、ペコちゃんとポコちゃんの人形は、「立体商標」登録されていて、他にはどんなものがあるかと言えば、
・ケンタッキーのカーネル・サンダース像
・早稲田大学の大隈重信像
・セガのソニック・ザ・ヘッジホッグ
と、種類もいろいろ。他にもありそうですけどね。
ここから先、街道沿いの史跡と、国道沿いのロードサイド店舗を、登場順に紹介していきます。(<>内はその企業の本社所在地)
北関東に拠点を構える企業の店舗が、続々と出てきました。
東京都内に進出していない「ばんどう太郎」や「フライングタイガー」は、正直初めて知りましたが、まだこれから先に進むにつれ、北関東勢と初対面が増えるでしょう。楽しみです。
杉戸宿に近い東武動物公園駅で、伊勢崎線から分岐した日光線。
踏切の頭についた「伊」「日」は、線名からとったと思われます。
2.御成道
圏央道。
正式名称は「首都圏中央連絡自動車道」。東京を囲む第三の環状高速で、全通すれば、東名・新東名・中央・関越・東北・常磐・東関東・館山の各高速道路をつなぐ長大なルートを形成します。
たいらや前のT字路で、左から合流する道は、日光御成道。
中山道の本郷追分から、川口宿・岩槻宿などを経て、日光街道に合流。
もとは日光街道の脇往還だったが、二代将軍秀忠が東照宮参拝する際に使用して以来、将軍家の通行はこの御成道が使われるようになった(だから御成道か)。
地図でルートを見ると、東京メトロ南北線と、それに直通する埼玉高速鉄道のルートが近いです。埼玉高速鉄道の終点は埼玉スタジアム付近ですが、その先の岩槻まで延長計画があるようで、開通すればますます御成道と一致します。
志手橋で倉松川を渡ると、幸手宿です。
3.<第六番>幸手宿
明治9年の東北巡幸の際に、幸手に宿泊した記念碑。
天皇が外出することを「行幸」、行先が複数箇所だと「巡幸」、天皇が臨時に滞在する場所を「行在所(あんざいしょ)」と言うそうです。知りませんでした。
全国に足跡を残した明治天皇ですが、街道沿いの碑文にも注目です。
一見、新しいビジネスホテルのようですが、1819年創業の旅館です。
明治天皇の巡幸に同行した侍従や、板垣退助・伊藤博文・大久保利通も宿泊しています。
明治新政府誕生後、政府要人や財界人が全国へ移動する手段はまだ未発達で(東武日光線の開業は昭和4年)、こうした街道沿いの宿場を利用する機会は多かったのでしょう。
埼玉では、人形の街として知られる岩槻(さいたま市岩槻区)があります。
2020年のデータですが、埼玉県の「雛人形・節句人形」の生産高は35億円で全国トップ。というか、全国の45%のシェアだそうです。すごいですね。
説明書の最後、「その後は家運が傾き、知久家は幸手から姿を消してしまtったのです。」は、たぶん事実だろうけどシュールな記述だなぁ。
日光御廻道は、将軍家の日光社参のときに、この先の権現堂川の氾濫に備えたう回路のことで、約一里弱の遠回りルートが整備されてました。
それだけ、将軍家の日光社参は重要な行事だったのですね。
次の栗橋宿が、埼玉県内最後の宿場になります。
杉戸宿→幸手宿
距離 5.8km
所要 2時間00分(休憩除く)
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