旧甲州街道ウォーク③ 上高井戸宿→布田五宿
こんにちは、ばーどです。
2024年6月8日(土)、本日最後の区間は「ニコイチ」宿場から「ゴコイチ」宿場へ。
1.烏山
井之頭弁財天は、吉祥寺駅の南にある井の頭公園の池の脇にあります。
文豪 徳冨蘆花の旧宅跡の「芦花(ろか)公園」から、駅名がついてます。
高級住宅地の多い世田谷区の一角。
ちょっとだけレトロな町並みが残ってました。
街道の宿場と宿場の間にある「間(あい)の宿」。
次の宿場までの距離が長い、峠越えの途中、川越えの前後、等に設けられることが多く、宿とつくが宿泊は禁止で、休憩用の茶店などが設けられていました。
烏山は、高井戸宿と布田五宿のほぼ真ん中にある、間の宿。
「昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていませんが、この道筋そのものが街道だったことを忘れるわけにはいきません。」
ストレートすぎる表現ですが、胸に残りますね。
下宿と中宿はありましたが、上宿バス停はありませんでした。
大正時代の開設当時、北多摩郡千歳村大字烏山だったところから、名付けられたようです。
京王線の初台から府中周辺までは、甲州街道の南側100m前後を京王線が並行して走り、「○○駅入口」や「○○駅北」のような交差点が続きます。
2.給田
世田谷区給田(きゅうでん)。何となく不思議な地名。
荘園の領主が給与した田、に由来すると言われてます。
日本橋からの一里塚とは別に、明治時代に品川県(当時)が測量しなおして「新一里塚」を建設。なぜか内藤新宿を起点としたので、ここが三里め。
3.仙川
この先50mほど進んだ地点で、世田谷区から調布市へ。
境界を示す標識もなく、川や交差点でもない普通の場所で、気づかず過ぎてしまいましたが、やっと都区内脱出です。
4.瀧坂
自治体や教育委員会の案内板はよく見かけるが、これは地元の個人が書いて内田平和堂(印刷屋)が制作したものでしょう。非常にわかりやすいしきれいです。
5.<第四番>国領宿
現在の調布市内には宿場が5つ設置され、合宿(ごうしゅく)として機能や役割を分担し、合わせて「布田五宿」と呼ばれていました。
宿場が担う問屋業務も、通常の合宿(2宿場)だとひと月のうち15日づつ分担ですが、5宿だと6日単位での分担でした。
最も江戸方にある、国領宿に入ります。
「旧甲州街道入口」交差点で、国道から別れて脇道へ。
脇道と言っても、調布市街を貫通するので、車も人も往来が続きます。
1964年の東京五輪のマラソンコースは、国立競技場から国道20号線を西に進み、現在の味の素スタジアム付近で折り返すコース。アベベや円谷幸吉が走ったのは、このあたり。
六.<第五番>下布田宿
布田五宿は、旅籠が9軒しかなく(1ヶ所に1~2軒?)、本陣や脇本陣はありません。歴史的な遺構も案内標識もなく、宿場町の境目がはっきりしません。
現在の町名表示を参考にして、そろそろ国領宿から下布田宿に入ったと、思われます。
七.<第六番>上布田宿
京王線の駅と布田五宿の位置関係。
国領宿 → 国領駅
下布田宿 → 布田駅
上布田駅 → 調布駅
下石原宿 → 西調布駅
上石原宿 → 飛田給駅
と、1と宿(駅)ごとに重なります。
上布田宿は、特急も止まる調布駅付近にあり、今の調布市の中心地です。
運行しているのは、京王バスではなく、小田急バス。
路線図を詳しく見てみると、JR中央線と京王線の間を走る路線バスの多くは、小田急バスが多いのに気づく。(小田急電鉄は、京王線より南側を走るので、この区間のバスとは交わらない)
八.<第七番>下石原宿
鶴川街道を越えると、しばらくは住宅街の中を進みます。
味の素スタジアムなど12会場で熱戦が繰り広げられたラグビーW杯日本大会は、2019年。スポーツのパワーを感じさせる、素晴らしい大会でしたね。
九.<第八番>上石原宿
今日の行程は、このお堂の前で終了します。
上高井戸宿→布田五宿(国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿) ※布田五宿=飛田給薬師堂とする
距離 6.1km
所要 1時間55分(休憩除く)
布田五宿は、本当に宿場を5つ過ぎたのか、実感が湧きませんでした。
次回の旅は、多摩川を越え、高尾山の麓へ向かう予定です。