旧東海道ウォーク⑲ 江尻宿→府中宿
2023年2月24日(金)。
昨年10月で中断していた旧東海道ウォーク、少しづつ暖かく、そして日も長くなってきたので、5カ月ぶりに再開しました。
1.<第十八番>江尻宿 その2
2.追分
3.ちゃっきり節
4.草薙の一里塚
5.国鉄が分断
6.静岡鉄道と並走
7.ショッピングモールが分断
8.<第十九番>府中宿
1.<第十八番>江尻宿 その2
前回の江尻宿到着は、悪天候と日没前後でゆっくり見ることができなかったので、今回改めて宿場町の東側から入りなおしました。
前回も見つけられなかったが、やはり江尻宿の東側には、案内板や碑などは残っていないようです。
今の行政上の区分では「静岡市清水区」で、駅名も「清水駅」。
もともと宿場町の江尻と港町の清水は、別の集落でした。
街道の東海道は江尻宿と呼ばれ、鉄道の東海道線も開通時(明治22年)は江尻駅でした。
大正13年に、江尻を含む入江町が清水町と合併して清水市が誕生、その後昭和9年に清水駅に改称されています。
その清水市、今度は平成15年(2003年)に静岡市と合併してます。
早朝で店の中は見れませんが、看板は貼り紙だけでも十分楽しめます。街歩きの楽しみの一つです。
江尻宿の寺尾本陣跡、6:45に出発。
巴川を渡る橋は、「稚児橋(ちごばし)」、別名「カッパ橋」と名前が付けられています。
家康の命で橋が架けられ、渡り初めの先頭にどこからともなくカッパの子が現れて駿府に向かって渡り出したという伝承から、この名前がついてます。
西木戸跡で、江尻宿は終了。
次の府中(駿府=現在の静岡)に向かいます。
2.追分
長らく清水市と静岡市だった、かつての江尻宿と府中宿。どちらも大きな町なので、街並みが途切れることはありません。
風景の変化もあまり感じられず、町名を見ながらあれこれ考えて歩きます。
ここの追分は、港町「清水」へ向かう道が分岐しています。
日本橋から13か所の踏切です。
追分踏切。
並走するJR東海道線と静岡鉄道をひとまとめに渡っていきます。
3.ちゃっきり節
踏切を越え、少し上り坂になります。
清水と静岡の間にある日本平につながる、小高い丘陵地を越えるためです。
丘陵地に農業用水を供給するかつての溜め池が、遊園地のボート池に転身し、その遊園地も平成5年に閉園した、と書いてありました。
有名な「ちゃっきり節」が、この遊園地のテーマソングに作られたとは、驚きでした。
巨大なテーマパークや絶叫マシーンの集客力の陰に隠れ、こうした遊園地が閉園していくニュースは、心が痛みます。社会の変化で経営的に厳しいのはやむを得ないかもしれませんが、地元の子供たちや家族連れにとっては永遠に忘れられない思い出になっているはずです。
4.草薙の一里塚
草薙の一里塚跡です。江戸から四十三里。
曹洞宗 谷田山東光寺。
突如現れた面妖な石像に驚きましたが、達磨大師(だるまたいし)だそうです。
我々がよく知る「だるまさん」とは似ても似つかぬお姿に、じっくり説明書きを読んでしまいました。
5.国鉄が分断
市街地が近づき、鉄道も道路も新旧主要幹線がひしめき合う地域に入ってきました。
この先の栗原地区では、当時の国鉄が広大な操車場を建設することで地域が分断され、旧東海道のルートが消えてしまいました。
東海道本線の旅客線、貨物用のスペースと引き込み線、さらには新幹線も並走し、幅100m以上ある鉄道地帯を越えて北側に出るためには、すぐ近くの細い地下道でくぐります。
6.静岡鉄道と並走
静岡は、模型やプラモデルの街としても有名。ここバンダイホビーセンターは、ガンダム好きにとっては聖地らしい。
旧道の右側には、静岡鉄道の線路があります。
東海道本線が日本の東西を結ぶ目的で建設されたとすれば、この静岡鉄道は地域密着を目指してより旧東海道沿いに建設されたのではないでしょうか。
7.ショッピングモールが分断
再び国道1号線に出会います。
よくある「側道が斜めに合流」のように見えますが、地図をよく見ると取付部分は鋭角にはなってなく、かつて旧道は国道を斜めに横断して反対側へ向かっていたようです。
開業前は鉄工会社の大工場の跡地で、すでにその時には旧道が分断されていたものと思われます。
なので、う回路を歩いて先へ進みます。
8.<第十九番>府中宿
ようやく、府中宿まで来ました。
府中宿の東木戸跡には、今は延命地蔵尊が建っています。
国府が置かれた地は「府中」と呼ばれ、各地に存在します。駿河国の府中なので、ここは「駿府(すんぷ)」とも呼ばれますが、宿場の名前としては国名を付けずに「府中宿」を名乗るのが一般的になっており、あたかも「ザ・府中」という雰囲気ですね。さすが、家康公が築いた城下町、そして東海道最大の宿場町です。
清水から静岡にかけては、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の名前がよく出てきます。
あまりよく知らなかったのですが、幕末期に徳川慶喜の命を受け、幕府側で勝海舟ととも江戸無血開城のために尽力した人物だとわかりました。
久しぶりの「都会」。
よく考えると、県庁所在地の中心街を通るのは、東京都心以来。(横浜では、東海道は今の中心街を通っていない)
間もなく、府中宿を抜けて、安倍川を渡ります。