旧日光街道ウォーク⑧ 栗橋宿→中田宿
こんにちは、ばーどです。
2024年2月28日(水)。
晴天、微風、寒さもやわらいで、街道ウォーク日和。
今日は、栗橋宿から25km先の小山宿まで歩く予定。
0.スタート地点まで
単に「古い橋梁の付替え」ではなく、川幅を広げる河川改修によって、橋梁自体を付け替えることになったようです。工事は2022年から始まっていて、終了まで9年かかるとのこと。
利根川水系の河川改修は、現代でも続いているのです。
旧日光街道に復帰しました。ウォークのスタート。
1.八坂神社
日光街道は、しばらく国道4号線と並行します。
利根川堤防の整備事業により、移転が進んでますが、資料を参考に、なるべく旧道に近いルートを進みます。
工事と並行した発掘調査では、本陣や住宅の遺構が発見されたそうです。
それらしき跡がありましたが、このときは気づかずに通過、残念。
創建時は5km離れた元栗橋(現茨城県五霞町)にあったが、江戸初期に大洪水に遭遇、流された神輿がのちに発見された地に移転、とされています。神輿は、泥にまみれた鯉と亀に守られるように発見され、それ以来、鯉と亀がこの神社のシンボルにもなっているようです。
現在の堤防工事に伴いまたまた移転し、伝統は受け継ぎながら整備されたと思われる境内は、非常にきれいでした。
2.房川の渡し
栗橋関所址の碑は八坂神社手前にありましたが、実際の関所は利根川岸のこの辺りにあった模様。
旧東海道ウォークで通った新居関所(静岡県)も、浜名湖の今切を渡る船着場に関所が設けられていたことを、思い出しました。
坂東太郎の別名を持つ、利根川。
坂東(ばんどう)は今の“関東地方”を指しており、その地を代表する河川、という意味でしょう。
他にも、筑紫二郎(筑後川)や四国三郎(吉野川)もあり、いずれも水量や長さで有名なこととともに、舟運や農業用水など、人々の生活に欠かせない川であったと、言えると思います。
幕府は江戸を守る名目で、利根川の架橋を認めず、船による渡河を設置。
同時に関所も設け、「入り鉄砲に出女」を厳重に取り締まったという。
関所は当初は中田に置かれたが、その後対岸の栗橋に移ったとのこと。
橋をかけることも許可せず、関所で取り締まりを行い、さらに関所破りには火あぶりの刑を処す(栗橋宿の炮烙地蔵)という、なんとも厳しいお話。
かと思えば、将軍家の日光社参の際には、小舟を繋げて「舟橋」を作り、利根川を渡れるようにしたとか。
3.<第八番>中田宿
中田宿は、小さな宿場町です。対岸の栗橋宿と合宿として、問屋業務を半月ごとにつとめたという記録が残っています。
もとの宿場だった場所は、利根川の河川敷に当たる場所で、本陣などの遺構も残っていません。その後何度か移転を繰り返して、現在の中田集落が形成されてきたようです。
源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したという。名前が似ているのは偶然ではないようですね。
小さな普通の寺に見えましたが、親鸞作の彫像、芭蕉の句碑、さらには静御前ゆかりの寺と、時を越えて様々なご縁のある寺です。
中田宿から、次の古河宿を目指します。
栗橋宿→中田宿
距離 1.6km
所要 35分(休憩除く)
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