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旧東海道ウォーク㉜ 新居宿→白須賀宿

2023年4月9日(日)。
東西に長い静岡県の「最後の宿場」まで、あともう少し。

1.浜名旧街道松並木
2.元宿場町
3.潮見坂
4.<第三十二番>白須賀宿


1.浜名旧街道松並木

県道301号を西へ進む
古民家バル いい感じ
橋本西の信号の角、旧道は右側道へ
朝の街道

ここから白須賀宿までの間、浜名旧街道の松並木が続きます。

浜名旧街道
街道の南側に、約1km続く
青空に映える風景

この松並木、現在の道(かつては国道1号)が整備されてからも残っていたが、松喰虫の被害にあい昭和50年までに全滅したが、昭和62年に植えなおされて復活したという。
後世まで残したい風景を蘇らせてくれた、地元の熱い思いを感じます。

藤原為家の歌碑
立場跡 しきりにお茶を勧める茶店の亭主に、「鮒や金魚じゃあるまいし」と一言

当時の旅人が、松並木の下で潮風に吹かれながら茶を一服する風景が、目に浮かびます。


2.元宿場町

街道の風景
街道の風景
明治天皇 御野立場
明治元年の東幸(京都から東京へ移る旅)
火鎮(ほずめ)神社の前でお婆さんが草むしり
ほほえましい
観光マップが隠されてるのはなぜ?

元町という集落に入りますが、このあたりがかつての白須賀宿。
1707年の地震と津波で元の宿場は流され、この先の潮見坂の上の高台に新しい白須賀宿が移転させられたそうです。

元白須賀宿の風景
高札場跡の碑
内宮神明神社
石段を上り本殿で参拝 本日の旅の安全祈願
本殿前から下の集落を望み、しばし休憩
お隣の内藤家長屋門 代々この宮司を勤める

穏やかな風、静かな朝。
早起きして一人旧街道をのんびり歩く幸せを感じて、潮見坂に向かいます。


3.潮見坂

道標に従い、角を右折
眼の前に続く、潮見坂

箱根と並ぶ東海道の難所で、また街道一の景勝地として知られた、潮見坂。
西から東を目指す旅人は、ここで初めて海と出会い、その眺めは心を打ったことでしょう。

振り返ると、東へ向かう旅人が初めて出会う海の風景
坂道はまだ続く
山の中に入ってきた もう海は見えない
T字路を右(上)へ
合流地点から再び海が見える(旧道は左から)
潮見坂の説明板
さらに上る 切通しの中を進む
おんやど白須賀 資料館と休憩施設がある

時刻は8時半過ぎで、残念ながら開館時間前。
お散歩中のご老人が丁寧に「10時」と開館時間を教えてくれましたが、にっこり挨拶して、先へ進みます。

選挙の掲示板で隠されていたマップ
かつての旧道は、この学校の中を直進
白須賀中学校
中学校前の潮見坂公園からの風景が素晴らしい
春の海の青さと、緑のコントラスト
明治天皇もここで風景を楽しんだご様子
白須賀小学校
東海道に面して海を眺める、最高の学校だ
国道42号から集落へ上ってくる道と合流
集落に入る
東海道本線の鷲津駅への道標

鉄道は急勾配に弱いため、東海道本線は潮見坂沿いのルートを断念し、鷲津を通る浜名湖沿いに建設されています。


4.<第三十二番>白須賀宿

白須賀宿の江戸口は、今も道がクランク状に残っています。
街道好きにはたまらない風景ですが、普通に通行する人には、少々面倒な道かもしれません。

白須賀宿の江戸口 見事なクランク
カーブのわずかな空間に、道路標示と説明書きとバス停

クランク、と書いてましたが、「曲尺手(かねんて)」という言葉があったのですね。使われている漢字からも、よく伝わります。
別の自治体のHPですが、わかりやすいので引用させていただきました。

白須賀宿の町並み
大村本陣跡 9:05着
本陣の説明板
脇本陣の石碑

白須賀宿も、これまで通ってきた岡部宿や日坂宿のように、屋号が掲げられた家が多くあります。

「鍵屋」は、現在は自転車屋に 妙に納得
「銭屋」はコンビニだったが、現在は閉店
神明宮

津波を避けて高台に移転した白須賀宿ですが、そのために冬の強風で大火に見舞われることもあったそうです。
このために設けられたのが、火除地と火除樹。
どこに行っても、自然との戦いは続いていたようです。

火除地と火除樹の説明板
その向かいには、自主防災のポンプ倉庫!
白須賀宿の加宿だった、境宿の町並み
境宿の西はずれ ゆるやかに左にカーブ
境宿の表示
県道173号に合流

静岡と愛知、旧国名で遠江と三河の国境は、もうすぐです。

新居宿→白須賀宿
 距離 7.8km
 所要 1時間40分(休憩除く)

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