旧日光街道ウォーク⑳ 大沢宿→今市宿
こんにちは、ばーどです。
2024年4月6日(土)。
この区間、8割が杉並木です。
ブログの写真も杉だらけ・・・。
1.車両通行不可の国道
杉並木を守る取り組みとして、バイパスの整備とあわせて、生活道路として使われる区間を除く「旧道の車両通行止」を実施。ここからその区間になります。
旧道の国道指定は残されており(バイパスと旧道の両指定)、いわば「車両通行止の国道」です。
江戸から三十三里目。
杉並木の中にあるため、探すのに苦労しましたが、両塚が見事に保全されているのは、素晴らしいことです。
水無と湧水は真逆のようだが、水無はここの地名です。
元は甘い実がなる梨の木があって水梨と呼ばれたことから転じたとか。
日光杉並木街道は日光街道・例幣使街道・会津西街道の3つの街道合わせて37km、1万本以上の杉の木がそびえ立ち、1992年には「世界一長い並木道」としてギネスブックに認定されています。
その持続的な保全に向けて、地域内外のサポートが続けられています。
街道ウォーカーとしては、素晴らしい遺産を体感し紹介することが何かに繋がれば、嬉しいです。
2.杉の木を観察
どこまで行っても杉並木。
このあたりから、じっくり観察してみることに。
さまざまな姿を見せる杉の木たちに、愛おしさも感じるようになりました。
木も生きていること、実感です。
集落が近くなると、いったん杉並木が途切れます。
もしかすると、かつては途切れることなく、杉並木と集落が共存していたのでしょう。どんな風景だったのだろうか。
3.森友
森友という地名からも、住民と樹木とが近い関係だったことが想像できます。
一瞬でしたが、杉並木を抜けだして、下界の空気に触れた、そんな感じでした。
4.並木ホテル
森友交差点を越え、また杉並木へ。
江戸から三十三里目、七本桜の一里塚は、杉並木の中の他の一里塚と同様に保存状態が良い。
両塚が残っているが、北塚の塚木の根元が大きな空洞となっていることから、「並木ホテル」の異名がついている。
この先に、第一接合井があったようだが、写真撮り損ねました。
杉並木の隙間をすり抜けるように設計されているかのようだ。
ガードを過ぎると、正真正銘の「杉並木街道にある信号機と横断歩道」。
5.<第二十番>今市宿
今市宿は、日光に集まる街道の合流地点。
江戸から、今歩いている日光街道。
中山道の倉賀野宿からは、例幣使街道。
北の会津から下ってくる、会津西街道。
奥州街道の大田原宿から日光へ向かう、日光北街道。
そんな重要拠点の宿場町ですが、明治維新の戊辰戦争では戦火に見舞われてしまう悲劇の舞台でもあります。
何が「追分」かというと、さきほど記した街道のひとつ、例幣使街道との分岐点だから。
晩年を下野国で過ごした二宮尊徳は、ここ今市で生涯を終えています。
日没が近くなり、今日の行程は今市宿で終了。
明日、日光までの最後のひと区間を歩き、その後二社一寺を参拝します。
大沢宿→今市宿
距離 7.4km
所要 1時間45分(休憩除く)