旧東海道ウォーク 51 水口宿→石部宿
2023年11月3日(金・祝)。
11月なのに夏日予想?と気温は上がりそうな週末に、旧東海道ウォークの最終パートの旅に。
まず、2か月前の中断地点である、水口(みなくち)宿へ向かいます。
0.スタート地点まで
1.北脇縄手
2.横田の渡し
3.天井川
4.<第五十一番>石部宿
0.スタート地点まで
ゴールが近づき“ステージ”が西に移動。当然、そこまでの移動も長くなる。さらにこの時期は日没も早くなるので、必然的に早出になる。
ゴールの「京都」を(乗換だけとはいえ)かすめるのは避けたかったですが、この先の行程を考え、5分間だけ滞在。
新幹線ホームから東海道線のホームへ移動だけですが、3連休の京都駅は朝から結構混んでました。5分で間に合うか心配でしたが、なんとか間に合いました。
京都から水口までのルートは、東海道の宿場町を逆方向から辿ることになり、なんとも不思議な感じ。
貴生川駅に到着し、近江鉄道に乗換え。
この日の滋賀県内は、琵琶湖から発生する朝霧の影響か、濃霧注意報が発生して、視界がかなり悪かったです。
旧東海道が交差するのは、2つめの水口石橋駅ですが、前回の中断地点の西見附跡までこの駅から歩くことにします。
ちなみに、東京を同じ時刻に出て米原駅から近江鉄道を乗継ぐルートだと、約1時間遅くなるので、今回は京都経由で。
日の短い秋の1時間は貴重です。
やっと今日のスタート地点に到着。
霧も少しづつ晴れてきました。
西見附跡出発、9:45。
1.北脇縄手
美冨久(みふく)酒造。
創業110年。縁起の良い漢字が3文字続く、ありがたい社名。
朝なので残念ながら外から眺めるだけ・・・。
北脇縄手。ここから旧東海道は、北西方向に一直線。
曲がりくねった伊勢大路を、東海道の整備の際にまっすぐにしたとのこと。
旧道のすぐ北側には、現在の国道1号が走っています。
遮る建物が少ないので、ロードサイドの店舗がよく見えます。
日頃は“あちら側”に近い生活ですが、今日は旧道側から遠く眺める風景です。
道路に沿って流れる水路。よく見ると、古い住宅が現れるとその家屋の裏手に迂回し、田畑との境を流れるようになっています。
古くから生活用水や農業用水として活用されていたのでしょう。
神社の祭礼のとき、神輿が休憩する場所のようです。
実際の一里塚があった場所は、ここから少し進んだ場所のようです。
一里塚の樹木が色づいて、秋を感じさせてくれています。
2.横田の渡し
県道の先には野洲川、かつては「横田の渡し」があった場所です。
左下の「柏木」方面から「松並木」があった辺りを抜け、「道標」から「泉一里塚」を通って「現在地」に来ています。
かつての旧道は、ここで川を渡りましたが、現在は右方向へ進み、国道1号から続く橋まで迂回します。
東海道沿いでは最大の常夜灯。1822年に万人講中が建立。水上交通安全の神である金刀比羅宮が祀られている。
こんぴらさんは、海だけでなく川でも守ってくれる神様なのですね。
迂回ルートを通り、野洲川の西岸へ向かいます。
滋賀県は「平成の大合併」で、かつての50市町村が平成22年末には19市町 となり、村の無い県となりました。市の数が7市から13市にほぼ倍増。
甲賀市も湖南市も、平成16年10月1日に誕生しています。
正面は、JR草津線の三雲駅。
石部宿へは、四つ角を右折するのですが、「横田の渡し」の対岸まで戻るため、いったん左折して進みます。
四つ角から約10分、「横田の渡し」の対岸と思われる場所まで来ましたが、それらしき案内はありません。川岸との距離もあるため、対岸の常夜灯を見ることもできませんでした。
Googleマップで確認し、対岸と思われる場所から再び歩き(戻り)ました。
もとの街道ルートに戻り、石部宿を目指します。
3.天井川
信楽焼で有名な信楽も近いのですね。
滋賀県に入り、多くの民家の玄関には、信楽焼のタヌキがいます。
右手に徳利、左手に通帳を持っている、おなじみの焼き物。
その通帳は、普通は「御通」とか「通」と書かれているのですが、この辺りの民家ではほとんどが、お住まいの個人名が書かれてました。
表札代わり、なのかな?
おもてなし処のすぐ先に、小さなトンネルがあります。
山を通り抜けるためのものではなく、道路の上を川が流れている「天井川」のトンネルです。
反対側からは、トンネルの上に登れるので、行ってみました。
もうひとつ、天井川のトンネルをくぐります。
トンネルを抜けてすぐに、新しい橋。
天井川から通常の流路に改修したようです。
さらにもう1本、家棟川という天井川があったのですが、河川改修されており、トンネルはありません。
ウィキペディアによれば、天井川は全国で240以上あって、その3分の1が滋賀県にあり、その理由は以下のように書かれていました。
琵琶湖を囲む山が花崗岩でできていたこと、平城京の造営や寺社建立のための森林伐採が進んだことで、山が荒れて保水能力が低下したため、河川への土砂流出が進んだ・・・
自然破壊が天井川を作り出した一因だったのですね。
4.<第五十一番>石部宿
落合川を渡り、石部宿の入口に到着。
「飛び出し坊や」は、滋賀県東近江市が発祥地とされ、東海道のルートではここ石部宿が最も接近している地点です。
石部宿内の東海道沿いには、残念ながら往時をしのぶ建物がほとんど残されておらず、この県道との交差点の一角に、各種説明書が集められています。
石部宿は、「京立ち石部泊り」と言われたように、京を出た旅人の初泊地として栄えたそうですが、今はその面影はありません。
いしべ宿駅のすぐ先に、小島本陣跡があります。
京方面からの大名は、宿場に入る前にここで衣服を整えたことから、この名がついたそうです。
同じ場所には「西縄手」の説明板もありました。
石部宿を抜け、次は中山道との合流地点の草津宿です。