旧甲州街道ウォーク㉕ 黒野田宿→駒飼宿→鶴瀬宿
こんにちは、ばーどです。
2024年10月6日(日)。
甲州街道最大の難所、笹子峠。予想以上に険しい山道、そして雨。
1.屋影橋
中央本線は、今自分がいる真下から笹子トンネルに入ります。
笹子峠を通り抜けるルートは、中央本線・中央高速・国道20号の長大トンネルと、羊腸の如く曲がりくねった県道のトンネル、そして今から挑む峠越えの旧甲州街道が、絡み合っています。
一般的に、8パーミル(1000m進んで8m上る)以上が急勾配と言われます。
実は、中橋を渡ってすぐ左に分かれる草道が、本来の旧道だったらしいです。
少し先にある「笹子峠」のサインに目が奪われ、見過ごしました。
2.矢立の杉
柵のレバーを開けて入り、閉めます。
人間のエリアから野生の世界に踏み出した、身の引き締まる感覚が沸き起こりました。いよいよ山道に入ります。
野立(のたて)とは、天皇や貴人が野外で休息し展望することやその場所のこと。
天皇の巡幸の記念碑には、野立や休息や小休止などがありますが、眺めがよいと野立と呼ぶようです。
今は森の中ですが、150年前はこの場所からも山々を見渡せたのでしょう。
「矢立の杉」が見えてきました。
ここを通る武将が、木の幹に矢を立て武運を祈願したと言われており、笹子のシンボルでもあります。
杉良太郎さんが「矢立の杉」という曲を出しているそうで、その歌碑と、横にはボタンを押すと歌声が流れる仕掛があります。
クルマで来たカップルが何気なくボタンを押したら、ミュージックがスタート。
杉さんの歌声を聴きながら、さらに山中へ分け入ります。
そしてついに、雨が落ちてきました。
3.笹子隧道
矢立の杉を過ぎると、道はますます細く、坂も険しくなってきました。
大名の参勤交代や天皇の巡幸は、本当にこの道を通ったのだろうか、と思いたくなります。
県道に合流して約10分ほどで、笹子隧道に到着です。
昭和13年に開通した、峠の直下を貫くトンネル。
現在の国道20号新笹子トンネルが開通すると、通行量は激減しましたが、その歴史的価値が評価され、平成11年には登録有形文化財に指定されました。
旧街道ウォーカーは、トンネルの右脇の坂道を上り、笹子峠を目指します。
4.笹子峠
5分ほど上ると、左右の小山に挟まれたくぼ地にたどり着きました。
標高1096m、笹子峠に到着です。
峠には標柱があるのみで、峠の説明板も休憩するベンチもなく、寂しい場所です。峠付近には、江戸から二十八里目にあたる「笹子峠の一里塚」もあったようですが、正確な場所も不明です。
雨は小やみになりましたが、時折霧が深くなり、雲が流されているのがわかります。
ここからは、甲府盆地に向けて下り坂が続く道のりです。
5.甘酒茶屋
峠を少し下ると天気が一変。晴れ間ものぞくようになりました。
阿弥陀海道宿の手前で会った地元のご老人が言っていたとおり、「峠の向こうは晴れ」になりそうです。
この辺りは、道の整備もあまりされていないので、何度か迷いながら進みます。道標もありませんが、木々に赤いテープのようなものが巻かれているのがおそらく旧道を示しているのだと信じて、森の中を下っていきました。
6.桃の木茶屋
ここから駒飼宿までの街道は、かつての古道が消滅しているため、県道を歩きます。
脇に沿う深い谷を挟んだ対岸に、古道が通っていますが、今では通行不能になっているようです。江戸から二十九里目の「駒飼の一里塚跡」も、対岸の森の中です。
橋を渡ると、進む方向と反対側(右側)に、古道の痕跡が見られます。
さきほどの「駒飼の一里塚跡」までは、古道を逆に進むと到達できそうなのですが、ご覧の通りの荒れ具合で、断念しました。
7.<第三十四番>駒飼宿
駒飼宿は、笹子峠の西側の宿場町として設置されましたが、平地が少ない小さな集落で、隣の鶴瀬宿との合宿(ごうしゅく)でした。
バス停の前で小休止。阿弥陀海道宿のみどりやで買った笹子餅を、ここで美味しくいただきました。
三叉路から分岐したこの道は、旧街道のルートではあるが、しばらく整備されていなかったようですが、地元の方が古道復活に尽力をされたようです。素晴らしい取り組みですね。
これで甲州街道随一の難所、笹子峠を踏破しました。
黒野田宿→駒飼宿
距離 9.9km
所要 3時間15分(休憩除く)
8.<第三十五番>鶴瀬宿
かつての古道は、ガソリンスタンドの中を抜けて、裏手の川沿いに進んだようですが、今は道が無いので国道を進みます。
信玄の亡き後、当主を継いだ武田勝頼は、織田軍の猛攻にあって逃走する途中、腰を下ろして思案したと言われる腰掛石が、この地に残されています。
街道からは離れますが、見に行きました。
勝頼はその後敗走し、天目山で自害することになります。
峠を越えて、日川をはじめ甲府盆地を流れる全ての川は、富士川水系となります。
平安時代の絵師である金岡が岩に描いた地蔵尊の絵が、水をかけると浮かび上がると評判になったそうですが、明治期の大洪水で流され、碑だけが残されました。
鶴瀬宿は遺構がほとんど残っておらず、この碑と、関所跡ぐらいしかありません。
甲州の十二関の一つ、鶴瀬の関所は、笹子峠の麓であるこの地に設けられ、江戸へ向かう人々や物資をチェックしていました。
駒飼宿→鶴瀬宿
距離 0.8km
所要 15分(休憩除く)
笹子峠を越えて、甲府盆地に入りました。
次は勝沼宿へ向かいます。