旧東海道ウォーク⑱ 興津宿→江尻宿
2022年10月9日(日)。
怪しい雲の下、予定通り江尻宿まで向かいます。
1.波多打川
2.横砂
3.細井の松原
4.<第十八番>江尻宿
5.番外編
1.波多打川
興津宿の西端が近づいて来ました。
海側を走る静清バイパスが、斜めにオーバークロス。
興津宿は、東木戸同様、西木戸もはっきりとした跡が残っていませんが、おそらくこの辺りでしょう。
下を流れる川は、波多打川(はたうちがわ)です。
名前の由来はわかりませんでしたが、駿河湾の波や、そこから逆流する渦などが、関係しているような気がします。
旧東海道は、この橋の下で南へ向かう分岐道に進みます。
「宿場町を外れて、川を渡り、道が枡形」という、典型的な宿場の西木戸の形態をとっていました。
2.横砂
このあたりの地名は、横砂といいます。
波多打川と同様、由来はわかりませんが、やはり海岸の砂に関係があると思われます。
JR東海道線を、踏切で越えます。
東海道線で6つめ、その他の線(京浜急行2・箱根登山鉄道2・伊豆箱根鉄道1・岳南鉄道1)を合わせると、12つめです。
この辺りにまつわるエピソードを、ご紹介。
幕末時代、幕府方の榎本武揚が乗る咸臨丸が、清水沖で官軍の攻撃を受けて惨敗。官軍は幕臣方の遺体を海に投げ捨てたが、浜に流れ着いた遺体を清水次郎長が「仏に官軍も賊軍もない」として、手厚く葬ったそうです。
その供養塚が今も残っているそうですが、見落としてしまいました。
3.細井の松原
旧東海道は、国道1号をなぞりながら、西へ進みます。
興津宿には、西園寺公望の別荘(坐魚荘)とともに、明治時代の政治家である井上馨も広大な別荘(長者荘)を構えていました。
空襲で焼かれたそうですが、残っていた松を、この街道沿いに植えたとの記録がありますが、どれがそうなのか見つけられませんでした。
清水区の袖師町に入りました。
ここで初めて、道路案内に「名古屋」の文字が現れました。
清水の町の中心部が近づいて来ました。
次の宿場は江尻ですが、今の地名でいうと清水として知られています。
辻町で、旧東海道は国道1号から分岐して、右の脇道を進みます。
このあたり、二百本以上の松が並ぶ「細井の松原」という名勝地であったそうです。
江戸から四十二里め、「江尻の一里塚跡」を探していると、ついに雨が降ってきてしまいました。
残念ながら探すことはできず、日も暮れたので先を急ぎます。
5.<第十八番>江尻宿
江尻宿の東木戸跡も、かつては案内板があったようですが、今回は探すことができませんでした。
資料には「道をくの字に曲げて先を見通せないようにして」とありますが、
今の道はまっすぐになっていますね。
日も暮れて、雨も強まり、ゆっくりと町を観察することが難しくなりましたが、本陣跡まで向かいます。
アーケードの一角に、寺尾本陣跡があり、立派な碑が建っています。
ここで、今回の旅は中断し、帰路につくことにします。
興津宿→江尻谷
距離 5.0km
所要 1時間45分(見学時間除く)
5.番外編
新幹線の静岡駅まで向かいますが、JRではなく静岡鉄道を利用しました。
静岡駅の近くで、駿河湾の海産を味わおうと思ってましたが、三連休の最終日の夜、しかも雨で、どこも混雑。駅ビル内で串揚げとビールの打ち上げをしました。
ここで、今回の旅(10月8日~9日)のまとめです。
踏破区間 三島宿→江尻宿
踏破距離 約54.9km
(1日目29.0km、2日目25.9km)
所要時間(休憩込) 約20時間10分
(1日目9時間30分、2日目10時間40分)
富士山の麓を歩きながら、あまりその姿を見ることはできませんでしたが、富士川を渡り、駿河湾沿いに歩き、薩埵峠を越え、また名所や資料館の見学も組み込みながら、旧東海道を楽しく歩くことができました。
次の予定は未定ですが、この先もマイペースで進めて、いつか京にたどり着けることを願っています。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。