見出し画像

旧東海道ウォーク㊺ 石薬師宿→庄野宿

2023年9月16日(土)。
酷暑の伊勢平野を進み、石薬師寺を参拝。
次の庄野宿まで、鈴鹿川沿いを歩きます

1.石薬師の一里塚
2.鈴鹿川
3.<第四十五番>庄野宿


1.石薬師の一里塚

石薬師宿は、鈴鹿川の2本の支流に挟まれた丘の上にあり、江戸口から入るときは上り坂、そして京口から西へ向かうこの辺りは下り坂です。

下り坂
旧道は右の道に入る
蒲川橋 この辺りが京口か
才石川

蒲川橋を渡ると、石薬師の一里塚です。
塚木は昭和34年の伊勢湾台風で倒れ、現木はその後植樹されたものです。

江戸から百二里目 石碑、常夜灯、説明板
説明板
塚木の堂々たる立ち姿がたまらない

緑の葉が包み込むように生い茂り、足元に木陰を作ってくれています。あまりの暑さに、私もその下で休憩させてもらいました。
これまで約100個所の一里塚を通りましたが、そのほとんどが碑や説明板のみで、一部はその痕跡さえわからず「所在不明」というのもありました。
この一里塚の良さは、まずはその場所。
小川を背にして、畑や緑に囲まれた平地で、周囲に建造物が無く、江戸時代の旅人が見たであろう風景を、感じさせてくれます。

休憩してると、石薬師のほうから来たご老人に、声をかけられました。
御年73歳、長年一里塚の草刈りを続けていらっしゃる、電動草刈り機の振動で心臓に負担がかかるようになった、今は日課の散歩中とのこと、など。
清掃活動が紹介された地元紙の切り抜きを見せていただきながら、素敵な時間をいただきました。
このような方々のおかげで、快適に街道ウォークを楽しませてもらえていることも、感謝です。これからもお元気でいてほしいです。

お話を終えて家に戻る後ろ姿

旧東海道は、一里塚の地点から、この写真の左斜め方向の畑の中を進んでいました。今は道が消失しており、左折して進みます。

石薬師(手前)から来て、ここを左折
JR関西本線の下をくぐり抜ける
くぐり抜けてすぐに右折
麦畑だろうか 猛暑で干上がっている
本来の旧道はこの辺りで右から合流
この角を右折し、国道の下をくぐる
抜けてすぐ左へ
道なりに右へ
T字路を左折し、橋を渡る
小川の水量は意外と豊か

2.鈴鹿川

国道1号に合流

ここから約2㎞、国道の歩道を歩きます。
車の通行量は多いが、歩道を歩く人はほとんどいません。

歩道の舗装はひび割れ、雑草も伸び放題

この区間は、国道の南側に鈴鹿川が流れています。
川沿いの開放的な風景を、少しでも見たいところですが、今歩いている歩道はあいにく北側。横断する信号も少なく、この先で右(北)に曲がるので、このまま歩くことにします。

南側、鈴鹿川越しの風景
北側にはほとんど水がない水路が続く
コンクリート工場の敷地が広がる
コンクリート工場の敷地が広がる
庄野町北の交差点を右折

3.<第四十五番>庄野宿

庄野町西の交差点を左折
交差点の角 もう少し整備したら・・・
庄野宿の江戸口にあたる石碑
現存している旧道が少ないのがわかる
焼杉の古民家 入居者募集中
庄野寄っといで音頭

令和3年に、庄野地区まちづくり協議会が、この音頭を活用した「地域愛UP作戦」の展開で、鈴鹿市より交付金を受けています。
地域愛が見事にUP、だといいですね。

善照寺 天台宗から浄土真宗高田派に改宗

この寺もそうですが、四日市宿から石薬師宿までの間にも2カ所ほど、「浄土真宗高田派に改宗」した寺がありました。
高田派の本山は津市にあり、地域性も関係しているかもしれませんね。

庄野宿資料館 
庄野白雨 広重の浮世絵

庄野宿資料館は、かつての商家の母屋を改築したもの。
内部は撮影禁止であったが、本物の「高札」が4枚保存展示されるなど、非常に見ごたえある資料館です。

館内は撮影できず、中庭を撮影

資料館で説明を聞きながら休憩させていただきました。
再び宿場内を進みます。

問屋場跡
庄野宿本陣跡は、現在は集会所
本陣跡石碑 14:30着
集会所で「庄野宿いっぷく処」 今日は休業日
集会所の中に、広重の浮世絵の版画?を発見
鈴鹿市コミュニティーバス 1時間毎運転
ちょうど目の前にやって来た
本陣前の四つ角 横道がずれてる?
高札場跡
郷会所跡
静かな街並みが続く
川俣神社
格子戸に提灯
庄野宿 京口に到着

今日は、この次の亀山宿まで進みます。
時刻はすでに15時前、あと9kmあまり。
日没までには着きたいところです。

石薬師宿→庄野宿
 距離 4.0km
 所要 50分(休憩除く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?