旧東海道ウォーク㊵ 池鯉鮒宿→鳴海宿
2023年5月27日(土)。
桶狭間古戦場や、有松の古い街並みを通り、名古屋市内の鳴海宿に向かいます。
1.一ツ木の一里塚跡
2.富士松
3.三河・尾張国境
4.桶狭間古戦場
5.有松
6.<第四十番>鳴海宿
1.一ツ木の一里塚跡
逢妻川を渡り、逢妻町交差点で、国道1号に合流します。
水素エネルギーが、環境負荷の低減にどこまで貢献できるか?、その採算性は?市場への拡大は?、というような課題にも取り組む、新たなモデルとして期待が高いようです。
周辺には多くの工場が立ち並びます。失礼ながらその社名はあまり知らなくても、優れた技術力で、我々の生活に欠かせない部品やパーツを作成し、知らず知らずのうちにきっとお世話になっているものが、数多くあるはずです。
2.富士松
刈谷市の一部で、袋がぶら下げられたゴミステーションが幾つかありました。
持続可能な取り組みとして、素晴らしいと思います。
宿場町でも門前町でもなく、間の宿もなかったこの地区に、趣ある古い街並みが残っているのは意外でした。
3.三河・尾張国境
愛知は東の三河と西の尾張で、県民性や食べ物の味も違うと、よく言われます。
その境が、その名も境川。
(静岡県から愛知県に入る県境も、確か境川だった。)
旧東海道は富士松を過ぎ、境川に向かいます。
4.桶狭間古戦場
境川を越えて、豊明市に入ってます。
名古屋のベッドタウンとして栄え、風景もこれまでとは一変しました。
1959年の伊勢湾台風以来、愛知県には水防倉庫の整備が進んだと言われてます。
江戸から八十六里め。両塚を残す貴重な一里塚です。
暑さにやられた現代の旅人も、一里塚の木陰でしばし休憩。
ついに名古屋市内に入りました。
5.有松
大将ヶ根の由来は、桶狭間の合戦前に信長軍が終結した地であることから。
松ケ根橋を渡ると、有松地区。
重要伝統的建造物群保存地区、江戸情緒の街並みで人気の観光地です。
絞り染めで栄えた商家が、今も立ち並ぶ美しい街並みが、大都市の名古屋市内に残っていることも奇跡です。
時刻は13時を回り、ここで昼食休憩。
さっぱりして美味しい手打ちうどん、美味しくいただきました。
塗籠(ぬりごめ)造りの商家や蔵が数多く残るのも、有松の特徴です。
また、二階は通風や明かり取りのため、虫籠(むしこ)窓になっています。
蔵の西隣にあるのが、県指定文化財の服部家住宅。
1861年の建築とされ、有松の建築美の特徴のひとつである「卯建(うだつ)を設けた和瓦の屋根」が見事です。
この町は、絞り関連以外の業態でも、連子格子を設けたり、当時の歴史的な建造物を利用したりと、統一感があります。
1984年に名古屋市が「街並み保存地区」に指定、さらに2016年に国が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されてます。どちらも地元住民が組織的に保存運動を起こして自治体や国を動かしたということで、これは素晴らしいですね。
有松の商家は、東海道に面した間口が広くとられているのが特徴です。
この理由は、あとでわかりました。
岡家住宅の内部が公開されていて見学。
地元ボランティアの方の説明が興味深く、その中から幾つか紹介します。
1.広重の五十三次の浮世絵で「鳴海宿」とされている絵に描かれたのは、鳴海ではなく手前の有松の風景。それも岡家ではないかとされている。
2.このあたりは池鯉鮒宿と鳴海宿の間の寂れた地区で、街道の安全のため、尾張藩の命で知多半島から移住してきたのが、有松集落の始まり。
3.農耕に適した土地が少なく、生計を立てるために男たちは名古屋城の築城に出稼ぎに出た。そこにいた豊後の職人が身に付けていた絞り染めをヒントに、その後改良を加えて「有松絞り」を完成させ、東海道の旅人の土産として知られるようになる。
有松の絞り問屋は間口をかなり広くとっている点について、聞いてみました。
間口の広さで決まる税を押さえるため、「うなぎの寝床」のように間口が狭くて奥行きが長いのが一般的ですが、有松の移住者集に苦労した藩が、税制面での優遇措置を条件に打ち出していたため、のちの商家についても間口の長さに関係なく税が免除(または上限付き)だったとのこと。
なるほど、と思わせる裏話ですね。ただし諸説あるそうです。
またゆっくり訪ねてみたい有松でした。
6.<第四十番>鳴海宿
鳴海宿の江戸口に来ました。
次は本日のゴール、名古屋市熱田区の宮宿へ向かいます。