旧奥州街道ウォーク② 白沢宿→氏家宿
こんにちは、ばーどです。
2024年5月3日(金)。
北関東を代表する川、鬼怒川を渡ります。
1.鬼怒川の渡し
しばらく進むと、鬼怒川の渡し跡の札。
今は河川敷の草原が広がり、水面は全く見えないが、かつてはここから対岸へ渡し船が出ていたそうです。
対岸までは、橋のある場所まで迂回して、進むことにします。
いよいよ鬼怒川を渡る
渡し船の到着地点を示す目印は見つけられなかったが、河口から88km地点付近と推定し、旧道ルートに復帰します。
2.将軍地蔵
鬼怒川を渡った阿久津地区は、東北地方の諸藩から陸路で運ばれた物資を、ここから鬼怒川の舟運で江戸に運んだ中継地として栄えた地。また、船頭たちの信仰がもとで神社や稲荷がいくつも建ち、参詣客で賑わいを見せたとも言われています。
注文したあとに、「氏家うどん」というメニューがあったのに気づく。
地元産の小麦を使った素朴な味、とあり、こちらも良かったなと思いました。(冷やし中華も美味しかったですよ)
昼食後、しばらく進むと、将軍地蔵の森があります。
奥州征伐に向かう源義家が、鬼怒川の悪蛇に行く手を阻まれていると、将軍地蔵が現れて蛇を退治したという言い伝え。
うっそうとした森に入ると、一瞬だけ俗世を忘れてさせるような、静かで不思議な世界でした。
旧街道のルートはこの倉庫の敷地を通っているようですので、敷地沿いに迂回します。
3.お伊勢の森
お伊勢の森。
伊勢神宮を勧請して設けられた社。周りの森とともに、この名でよばれたとのこと。当時は一帯が森だっただろうが、今は水田と住宅が広がる中に、ここだけ樹木が残るので、ひときわ「森感」が強くなってます。
奥州街道の宇都宮から白河までの区間で、ここが唯一の踏切です。
周囲は水田が広がる農村地帯。GWはちょうど田植えのシーズンなので、この時期ならではの風景が見られます。
写真にはありませんが、家族総出で田植えをしているほほえましい風景にも、数多く出会えました。
4.<第二番>氏家宿
江戸時代の氏家宿は、主要道路がいくつも通る「交通の要所」でした。
まず、今通っている「奥州街道」が、江戸と白河を結んでいる。
ここの追分を右に進み、常陸国へ通じる「水戸道」。
会津と今市を結ぶ会津西街道が通行不能となり整備された「会津中街道」。
那須野原を横断して白河で奥州街道と合流する「原方道」。
これらの街道とともに、阿久津河岸からの鬼怒川舟運もあり、人流や物流が盛んだったようです。
氏家宿内にあったとされる、氏家の一里塚は、その場所が不明です。
江戸から三十一里目にあたります。
氏家宿は人流も物流も盛んだった、と前に書きました。
内陸部ではあるが、水戸道で運ばれた新鮮な海の幸を食すことができた、
江戸の歌人や俳人が多く移り住み、俳諧文化が花開いた、
などの逸話が、文献にも残っているそうです。
少し進むと、今も街道沿いに残っている二つの旧家が、ありました。
1683年の大地震によるがけ崩れで鬼怒川の支流がせき止められて誕生した五十里湖(いかりこ)が、その40年後の大雨で湖が決壊して洪水を引き起こし、下流にあたるこの地にも大きな被害があったとされています。
本陣などがあった地区には当時の遺構は残ってなかったが、中心を抜けると明治期の旧家が残されていて、少しほっとしました。
時刻は15時近く。今日は次の喜連川宿まで進み、温泉にゆっくりつかる予定です。
白沢宿→氏家宿
距離 7.5km
所要 1時間50分(休憩除く)