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旧甲州街道ウォーク㉞ 蔦木宿→金沢宿

こんにちは、ばーどです。
2024年11月3日(日)。
信濃国に入って最初の区間は、10km以上のロングトレイル。高原の空気を深呼吸して、歴史と風景を楽しみながら、歩きました。



1.平岡の一里塚

国道から少し川に近い細道を進む
釜無川の石積堤防

釜無川の堤防と言えば「信玄堤」が有名。甲府柳町宿から韮崎宿に向かう途中の甲斐市竜王にあり、街道から離れてたので立ち寄れませんでした。というより、氾濫の危険性がある場所を、街道は避けますよね。

国道20号の歩道に合流
東京から175km
再び国道を離れる 左の砂利道へ
駐車中のダンプの脇をすり抜けて進む
作業事務所の前を通過
砂利採石場のようだ

この日は週末でしたが、作業場の稼働日はダンプが走る道になるのでしょう。

砂利採取の許可証もきちんと掲示あり
害獣避け電流ネット 慎重に開放して進む
国道に合流
富士見町コミュニティバス バス停

富士見町は民間の路線バスが無く、コミュニティバスの実証実験を行っていました。

石仏石塔群
釜無川の流れ
川の対岸(山梨県)には温泉施設がある
旧道の痕跡を歩く
ここも旧道の痕跡
旧道の痕跡は国道に吸収され、反対側に続く
旧道はこの方向に続いていたらしい

川沿いにあったとされる本来の旧道は消滅しているので、国道を迂回します。

火の見櫓
平岡の一里塚
一里塚の刻印のある石碑
 側面には「江戸から四十六里」とある
右の坂道を上る
釜無川の対岸 山梨側の集落と山
釜無川近くにある「明治天皇巡幸野立所碑」

明治天皇の巡幸では、川沿いの道を通ったようですが、一部の痕跡が途絶えているようなので、少し高いところを通る旧道を進むことにします。


2.机

坂道を進み平岡集落へ入る
柿の実を取るおじさん
収穫を見せてもらった

柿の実を取るおじさんに、ごあいさつ。「今年は少ない。いつもはこのカゴ4~5つ分くらい。」と言ってました。

おそらく集落の中心の広場 左斜めに進む
ごみ収集場・火の見櫓・石碑群・郵便ポスト・自販機・消火栓と全てが集まっている
「諏訪」と読めるので諏訪大社関連だろう
道なりに左へ折れて丹沢川を渡る
傾斜が急で勢いがあり水量も多い
街道の曲線美
まさに「歩行者注意」だ
JA信州諏訪 12:09
机集落を通過
富士見町コミュニティバス停 標高は808m
富士見町立落合小学校
富士見町立落合小学校
立派な長屋門だ
合同会社「つくえラボ」の看板

後でHPを調べてみました。
「高齢者や障害者など誰でも楽しく元気で過ごせる地域づくり」に取り組む組織で、地域再生大賞の優秀賞に選ばれています。


徐々に坂を下って国道20号に接近する

3.瀬沢

国道に合流 右へ

旧道は、国道と交差して立場川を渡っていましたが、そこに橋が無く、迂回します。

立場川
瀬沢大橋を渡り橋詰を左へ
瀬沢大橋と立場川

立場川の名の由来は、かつて瀬沢に立場があったことから。また、この川が甲斐と信濃の国境だった時期もあったため、境川とも呼ばれたそうです。

道なりに右へカーブ
左はかつての渡河地点
突き当たりを右へ
松田屋商店 酒の銘柄が多い
瀬沢集落
瀬沢郵便局

甲州街道を歩き始めた頃は、暑中見舞いのポスターが貼ってましたが、もう年賀状のポスターやのぼりが出ています。

諏訪大社の御柱祭で使う道具のようだ
常夜灯
吉見屋 一部改築中
薪のストック まだ少ない
集落には蔵が残る
甲州街道は左の上り坂を進む
追分にある道標 残念ながら読めない
急な上り坂
道標 「左すわ」は読めた
さらに続く急な上り坂

上りながら振り返ると、遠くに八ヶ岳が望めます。甲府を過ぎてからずっと斜め前方に見えた山が斜め後方にあるということは、自分が進んで来たという証拠です。

遠く八ヶ岳を望む
集落を抜けて林の中へ
石碑石仏群
石碑石仏群

石碑や石仏が立つ場所は、集落の入口か出口、集落の中心部(人が集まる場所)、眺めがよい場所、急坂や橋のたもとなどの危険な場所、にある傾向がある気がします。


4.富士見峠

林を抜けて、少し開けた場所に出ました。

街道の曲線美
旧瀬沢村と旧芓木(とちのき)村の境の橋
芓木(とちのき)集落
暗渠が川だったときの洗い場か

瀬沢集落も芓木集落も、上り坂の途中にあり、集落を抜けてもずっと緩やかな上りが続きます。

右斜め後方に見える八ヶ岳の風景
富士見町のプロジェクト「とちのきえんがわ」

空き家再生事業で、地域の交流の場やビジネスマッチングの場として、更にはコワーキングスペースとしても、活用する予定だそうです。

尾片瀬神社 石碑にある神社名は別称?
街道沿いの農地は石積みの段々畑

甲州街道の3つの峠で、小仏峠や笹子峠はつづら折りの山道が続く尾根越えでしたが、最後の富士見峠はほぼ直線で一気に登っていくゆるやかな道です。

石仏群
芓木風除林 説明板
背後の松も風除林の名残だろうか
反対側の松は本数少なくスカスカ

後ろから車で来て、声を掛けてくれたおじさんに教えられ、振り向くと遠くに富士山の山影が、はっきり見えました。

甲州街道から初めて見た富士山

山梨県内を歩いた日はいつも、天気が良くなかったり、雲が厚かったりて、なかなか会えませんでしたが、ようやくご対面。
まさに“富士見”の地ですね。

松林の向こう 南アルプスと富士山
塚平の一里塚 江戸から四十七里め
裏側から見ると塚がよくわかる
標高は950m

富士見町は、公共施設や名所旧跡周辺に標高表示を設置して(高原の町らしい取り組みです)。笹子峠の1096mには届きませんが、かなり上りました。“峠”感は全く無く、普通に畑や集落が広がるエリアです。


5.原の茶屋

一里塚のすぐ先のT字路で、甲州街道が途切れてしまいました。

T字路 街道ウォーカーも「止まれ」だ
手書きの甲州街道案内

目の前を横切る道路の先には、囲いに覆われた草地が広がりますが、三菱マテリアルに払い下げられ、太陽光発電設備が設置されている土地。直進できないので、囲い沿いに左へ折れて進みます。

ひとつめの角を右折
囲い沿いに進む迂回路
防犯カメラ作動中
ススキの草原
途中から未舗装道路に
甲州街道旧道に合流

左に進む前に、通れなかった旧道を行けるところまで逆に進もうと思います。

合流地点から後ろを振り返った風景
左が旧道 右が迂回路
太陽光発電の敷地への入り口
100mほどで旧道は消えていた

周囲に家は数軒ありますが、その先の森の向こうは立入禁止なのでしょう。
あっけなく終了して、引き返します。

合流地点を過ぎて伸びる甲州街道
変電所施設 太陽光発電とは関係ないだろう

中部電力、と書いてあり、山梨(東京電力)から長野に入ったことを再確認。
よく「山梨は、関東か中部か」と議論されますが、電力会社のエリア分けではこうなっているようです。

富士見公園で休憩

伊藤左千夫、島木赤彦、斎藤茂吉ら、アララギ派ゆかりの歌人の碑がある公園。最初は街道に面した入口にいましたが、奥の紅葉がきれいと聞いて中に入ってみました。

富士見公園の紅葉
富士見公園の紅葉

赤と黄と緑のコントラストが、青空と芝生にマッチして、実に見事な美しさです。
都会に近かったら、カフェや屋台が立っても、人気のスポットになってもおかしくないのに、ここは人もまばらでした。

原の茶屋公民館 街道沿いの最高標高961m
たばこと塩が専売制だった名残り

蔦木宿と金沢宿間は、12km以上と長く人家も少ない地域だったため、茶屋が設けられ、原っぱの中の茶屋で“原の茶屋”。
しかしここが、明治期には文学者たちのサロンになっていたというから、驚きです。

原の茶屋の集落
明治天皇御膳水の碑
説明書

教来石宿や蔦木宿を過ぎて、「明治天皇がお飲みになった水」の碑が多いですね。ここにもありました。
峠を越えた一行が、眺めが良い場所で何度も休息をとった、日頃から水に自信がある住民が「天皇がお飲みになった」とい
う事実を後世に残したかった、ということが背景あるのかな、と考えました。

蔵を利用した古民家
旧桔梗屋 文人たちのサロンだった
旧桔梗屋 玄関

島木赤彦、斎藤茂吉、竹久夢二など、明治から大正にかけて多くの歌人文人が滞在した、旅館桔梗屋。
風光明媚な高原にひっそりたたずむ芸術家達の村、という雰囲気ですね。

金昆羅神社への参道
蔵が残る民家
旧街道は右の道
林の中にわずかに残る旧道の痕跡
カゴメ富士見工場の横を通過
KAGOME のロゴがかろうじて見えた

「野菜生活100」などを生産、工場見学もできます。
周辺には、遊休農地を活用した農園やイタリアンレストランもあり、地域への貢献も果たしているようです。

工場と温室の間を進む
ログハウス風の家が目立つ
庭先にはなぜかバナナの木
旧道は直進

富士見峠を越えてからも、一気に山を下ることはなく、開けた風景の中をゆっくり下ります。

大量の石仏石碑群 中国の兵馬俑のよう
欠けてしまった庚申碑
道なりに右へカーブ

街道が伸びる台地が終わり、宮川流域の平地に下りて行きます。

石碑を取り巻くように右へカーブ
折り返すように国道20号へ合流する

ここが、間の宿(あいのしゃく)の御射山神戸の、南の枡形にあたります。

国道20号を北上

6.御射山神戸(みさやまごうど)

長屋門
小川平吉 生誕の地碑

大正から昭和初期の政治家で、鉄道大臣在職中に、駅名表記をすべて右書きに統一した方だそうです。
「みじふ」→「ふじみ」という具合に。

御射山神戸交差点

地名の由来は、この地で矢を射る神事が行われたことと、諏訪大社(神)の戸口にあたること、だそうです。

冠木門の旧家
御射山郵便局
御射山神戸史跡マップ
神戸八幡社
遠くに見えるJR 中央本線すずらんの里駅

韮崎宿以来、甲州街道から遠く離れていた中央本線が、久しぶりに近くなりました。

御射山神戸の北枡形跡
旧街道は左へ分岐
崩れた廃屋
石仏石碑群
御射山神戸の一里塚(逆光)
東塚は明治期に枯れたため復元された
西塚は樹齢400年
説明板 江戸から四十八里目
ススキ野原の横を抜ける
突然現れたコンクリートの壁
セイコーエプソンのテニスコートだった
青柳ゆるぎ石 説明板
崖の下に見える岩がそれ
金沢宿の案内
頭を見せた八ヶ岳
中央本線の臨時特急
セイコーエプソンの社宅
街道の風景
穴観音 石室の中は見えなかった

6.<第四十四番>金沢宿

蔦木宿を出てから約4時間。ようやく次の宿場町、金沢宿です。
甲州街道の開設にあたっては、この先で渡る宮川に近い場所に青柳宿が設けられれましたが、川の氾濫と大火に見舞われたため、少し高台に位置する金沢に宿場機能を移転しています。

国道20号に合流
諏訪バス 金沢上々町バス停

茅野方面へ向かう朝夕通学通勤バスが、2往復設定されています。
上町のさらに上の町、なのでしょうか。

金沢宿の風景
ジビエ料理店 匠亭
上々町の次のバス停 金沢上町
信州りんごの看板
旅籠屋 丸屋
説明板
東京から187km
本陣跡にある明治天皇行在所碑
金沢本陣跡 説明板 15:15
信濃金沢郵便局
金沢宿の風景
旅籠 松坂屋 江戸後期の再建
説明板
中馬宿(馬宿) 馬と馬方が泊まれる
説明板
馬宿の前にある、馬繋ぎ石
現在はフルーツワインの店として使われている
旧街道は右の道へ分岐
旧甲州街道案内
旧街道の風景
年季を感じさせる蔵
高遠へ通じる道が左へ分岐
小松三郎左衛門を弔う“みょうり様”

金沢宿の本陣問屋の主。
金沢村と千野(茅野)村の境界紛争に対する藩の裁定が千野村寄りだったことを不服とし、幕府へ直訴を計ったり人馬継立の役務を遅滞させたため、藩主の怒りにふれて処刑されました。地域の利を守るために犠牲になった、義民として扱われています。

宮川に突き当たる 橋が無いので左へ迂回
小松三郎左衛門が刑に処された場
国道20号を右に進み金沢橋へ
金沢橋で宮川を渡る
今日初めてのコンビニで休憩

蔦木宿手前の“道の駅”以来の、ドリンクと糖分補給(購入)、そしてトイレ休憩。

対岸を川沿いに戻り左折 旧道ルートに合流
Y字路を左に
再び国道に合流
金山大権現を祀る“権現の森”
権現の森 説明板

金沢宿に移る前の青柳宿は、この森の西側にあったようです。

富士見峠を越える長かった区間、ようやく歩き切りました。
幸い天気にも恵まれたし、街道沿いに小さな集落が続いていたので、退屈することなく楽しみながら歩くことができました。

蔦木宿→金沢宿
 距離 12.8km
 所要 3時間30分(休憩除く)

山の日暮れは早く、この日の日没まであと2時間弱。次の宿場町・上諏訪までは12km以上あるので、今日は途中の“間の宿”までをめざします。


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