旧奥州街道ウォーク⑩(完) 白坂宿→白河宿
こんにちは、ばーどです。
2024年5月5日(日)。
ラストステージは、白河宿までの下り道。
1.皮籠
地図を見ると、面白いこと発見。
昨日降りた駅が黒磯駅で、2つ先が黒田原駅。ここまで栃木県で、県境の黒川を渡るまで、「黒」が続く。
福島県に入って最初の駅が白坂駅、次が新白河駅、白河駅と3駅連続で「白」。
オセロか囲碁のような見事な分かれ方は偶然?
牛頭観音、というのは始めて見ました。昭和52年に建立とあり、馬だけでなく牛にも感謝、ということですね。
皮籠村の地名は、平泉と京の間で砂金の交易を行っていた三兄弟が、この地で盗賊に襲われ命を落とし、残された砂金入れの籠が由来となったらしい。
江戸から四十六里め、皮籠の一里塚がこのあたりだったようですが、場所は不明。一里段という地名は、関係ありそうですね。
2.戊辰の役古戦場
白河市郊外の新興住宅地に入りました。
奥州街道が道なりに大きく右に曲がる地点には、戊辰戦争の天王山とも言われた「白河口の戦い」の古戦場があります。
3.南湖橋
左へ曲がる辺りが九番町。ここから町の中心へ向かい、だんだん数字が小さくなります。
交差点の付近に、白河の一里塚があったとされています。
江戸から四十七里め、五街道としての奥州街道最後の塚です。
4.<第十番>白河宿
白河宿は東北地方(当時は陸奥国)への入口として栄えた城下町・宿場町。
旧街道沿いには、江戸から明治にかけての古い建造物があり、枡形も残っている、ゆっくり歩きたい町でした。
本町を抜けると、四辻交差点。
五街道としての奥州街道の終点です。
奥州街道は、ここ白河宿を越えて陸奥国を縦断し、青森県津軽半島の三厩(みんまや)宿まで続く、長大な街道です。
徳川家康の命で五街道が整備された際には、奥州街道の江戸から白河宿までの二十七宿が制定された。従って、五街道としての奥州街道はここまでになります。
道はこの先も伸びてますが、旧奥州街道ウォークはゴールということに。
ゆっくり歩きたい町ですが、3日で100km歩いた足には、正直結構キツイ。
かえりの列車の時刻もあるので、早速駅へ向かいました。
白坂宿→白河宿
距離 9.7km
所要 2時間20分(休憩除く)
5.まとめ
日光街道宇都宮宿の追分で、分岐する街道を見送ったのがちょうど桜の時期。
その1カ月後に、一気に白河宿まで歩き通す強行スケジュールを、すぐに組んで、実行してしまいました(笑)。
頭を悩ませたのが、どこで区切って宿泊するか。奥州街道は、鉄道や主要国道とは離れた山間部を通り、ビジホがあるような町はほとんどありません。
ネットをあちこち調べて、喜連川では田んぼの中のカード使用不可のホテルを探し出し、GWのファミリーで混む那須塩原では最後の1室を押さえたり。
バスの便も少ないので、那須塩原市のコミュニティタクシーを使用。
そんなスケジュール作りもなかなか楽しく、出発前に十二分に歩いた気分に浸ってしまいました。
<番外編>
白河駅の駅舎は「赤瓦の屋根の大正ロマン漂う駅舎」として人気が高く、最近ではダイハツMOVEのCMにも登場していました。
一と駅移動し、新幹線の乗換駅である新白河駅へ。
この日はGWで、上りの新幹線がほぼ満席。何とか1席押さえた「やまびこ」まで時間が空くので、ゴールの祝杯をあげることに。
旅を振り返って飲む酒は、本当に最高でした。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次の街道ウォークに挑んで道中記を書かせていただきます。
それではまた。