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聖都バラナシ編3 サールナート 前編

写真:サールナート名物 ダーメークストゥーパ

バイクタクシーの後部座席にまたがりバラナシの街を走り抜けること20分ほど、無事サールナートへ着いた。
ここもまた23年ぶりの訪問である。当時仏教には全く興味のない私だったが、偶然出会った仏教大学の学生に熱烈に勧められて訪れたのだった。田園風景の中にぽつんと佇む当時のダーメークストゥーパはいかにもインドの遺跡という趣があって印象深かった。それが経済発展の影響だろうか、今は近隣の建物や交通量も増え雑然とした汚らしい普通のインドの街並みになっており少し残念だった。

遺跡前の通りにも土産売りの屋台がずらりと並んでいる。少し覗いてみたが、だれがこんなものを買うのだろうと思うような安物の仏像仏具ばかり。日本でも観光地へ行くと昔ながらの土産屋が謎の金ぴかの招き猫だの木刀だのを売っているがそれと似たような品揃えである。そんな店が十何件と軒を連ねているのだ。こんな商売じゃ儲けなんてほとんどないのだろうと思った私は友人への土産用に少し金落としてやるか、と売り物に目をやると小さい仏像が目についた。おそらく粘土製だと思うが四角い石枠の中に座禅仏が浮堀りになっている。それを指さすと「120rps」というので言い値で買ってやった。

そしてその仏像を懐にしまい込んで遺跡入り口を目指して歩き始めた私だったが、すぐに数人の物売りに取り囲まれた。登場一番金を落とした姿を見て、

「こいつぁ景気のいい旦那だぜ!」

と思われたようだ。適当にあしらいながら歩を進めると何人かはすぐにあきらめて去っていったが一人の男がしつこく絡んでくる。

「旦那ぁ実は掘り出し物があるんでさぁ。ちょいとみてっておくんなましよ!」

そういいながら男は懐から新聞紙の包みを取り出した。広げてみせるとそれは石の仏像だった。しかも先ほどの屋台で売られているものとはずいぶん違って立派な出来である。さっと目つきが険しくなる私。

「おめえ、こんなブツどこで手に入れた…?」

「ここだけの話ですよ旦那。実はうちの親父が掘り当てたんでさぁ。ここサールナートで…」

残念ながらそんなインド人の言を簡単に信じられるような純粋さなどとうに持ち合わせていない私ではあったが、しかし、それでも尚惹かれざるを得ない不思議な魅力がその石仏にはあった。形こそさきほど購入した安物と同じつくりではあるが、そこに浮き彫りになっている仏の姿は「サールナートの発掘品」というのもあながち嘘ではないのでは、と思えるようなアルカイックな美しさだった。おそらくは最近作られたものだろうが、この作者なかなかの手練れに違いない。いっぱしの念能力者が「凝」で観察すればそこにはあの「念の残り香」がたゆたっていただろう…。

(こ、これは…ほしい…)
(しかしここで本心がばれて足元をみられてはいけない…)

「ほう…なかなかいいもんもってるじゃねえか。で、いくらだってんだい?」

と、そんなに欲しいわけでもないという雰囲気を醸し出しながら問うてみると、

「3000だ(約5000円)」

というのでさすがにあきれて吹き出した。
しかし男はすぐさま、

「待ってくれよ旦那ぁ。こいつぁそんじょそこらの安物ンたぁわけがちがうんだ。ほんとにこれはうちの親父がよぉ…」

と、説得に入ってきたのだがすっかり買う意欲を無くてしまった私は、

「別に疑ってるわけじゃないんだよ。たしかにこれはいいもんだと思うよ。それに俺ぁインドの庶民は仲間だと思ってるからよ、できればお金落としてやりてえんだ。おめえも生活大変なんだろ?※でもなぁさすがに3000はだせねえ、他当たりなよ…。」

※インドは昨今物価上昇が激しくただでさえ生活の厳しい貧困層は更なる生活苦に陥っているらしい。実際別のところで出会った物売りは二日に一回しか食事がとれないと嘆いていた…。

相手の身になりつつやんわり断る、という泣き落とし作戦にでた私。功を奏したのか男はおとなしく立ち去っていった。

そうしてサールナート入り口にたどり着いたのでさっそく入場料を払って中へ入ろうとしたのだがここで問題が生じた。入場料の決済はスマホでのオンライン決済のみで現金不可だったのだが、その決済を行う際自分の電話番号の入力を求められたのだが、なんと私は自分の新しい番号を把握していなかったのだ。Airtelバラナシ店を退店するとき電話番号の記載されたsimカード用の袋を渡されたのだが、

「いらねえよ。捨てといてくれ!」

と、小粋な若旦那風味を演出しながら肩で風切って出てきてしまったのだった。

「しまったまたやらかした…」

おもえば私はいつもここぞというときに変にかっこつけようとして失敗してきた…。そう17の時水戸の駅前でも私は…と過去のトラウマを思い出し、急性PTSDを再発しかけていると、近くにいた家族連れのインド人少年(10歳くらい)が私のただならぬ雰囲気を察したようで話しかけてきた。

「Hello Sir. 何かお困りですか?」

育ちの良い子なのだろう、その大変敬意のこもったしゃべり方に感動を覚えると同時に、PTSDの深き闇に突如差し込む「Jacob's ladder」我に返った私は、

「ああいや実はかくかくしかじかで…」

というと少年は

「Oh…」

と言って黙り込んでしまった。
すると横にいた別のグループのインド人青年がすかさず、

「なんだいブラザー、そういうことなら僕の番号にかけなよ。そしたらキミの番号が表示されるだろう!」

そうして突然の善良なるインド人青少年の助けにより無事自分の番号を把握できた私は会計をすまし入場することができたのだったが、23年ぶりのサールナートの空気に浸りながら、私はこの青少年たちの人柄から受けたささやかな感動を忘れられずにいた。ビハールで遭遇したインド人は皆最終的には「金!金!金!」だったが、それに比べて、あの青年達は何を要求するでもなくさっと手助けしてはさっと立ち去っていった。小粋な若旦那の称号はむしろ彼らのものであろう。

「へへっこいつぁ一本とられたぜ…。かなわねぇぜおめぇたちにはよ…。」

そう背中で語り、再び肩で風切って歩を進めながら、この国には実に多様な人々がいるのだな、きっとこれがインドの国力の大きな原動力の一つでもあるのだろう。そんなことを思いながら上機嫌で観光を始めた私だったがこの直後、この「原動力」のやっかいな側面を予期せぬ形で味わうことになるとはつゆほども知らなかったのである…。

つづく

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