【雑記】(相変わらず)雨男のビバップ。
昨日、お世話になっている美容室で、オーナースタイリストさんとあれこれとおしゃべり。
「最近、全然、雨降らんねー」
と、美容師Sさん。
「昨日、雨降ってたやん……」
そうやっけ。いい加減な記憶を自ら笑うSさん。とは言え、確かに今年は降雨が少ない気がする。梅雨の後半はあまり降らず、初夏には、ダムの渇水が懸念されて、一級、二級河川の水量の低下から、農家さん向けに「一度に大量の川水を使わないでください」なんて、ローカル過ぎる放送を毎日のように聞いた。
本来なら、高知は日本一の降水量を誇る、四国の水がめである(昨夏は毎夜のゲリラ豪雨に慄いた)。
実際のところ、秋雨前線はどこへやら、昨日は久しぶりの雨でした。夕や夜間だけ、みたいな時間を限定した雨ではなく、はっきり、しっかりと一日中の雨。けれど、昨日の雨くらいでは、それほど、ダムもため池も潤わないだろうな、なんて、水の美しい地域の農業を心配したりもする。現在は田舎住まいなので、そこかしこに田畑だらけ。たまに昼からビールを共にするダンディも、60歳から専業で、夫婦で農家さんをされているのだ。
そう言えば。昨夏、関西から、この四国高知に移住してきた夜は、小雨だった。やっぱりな、なんて思ったんです。
僕は、筋金入りの、純血種の、サイヤ人で言うなら、スーパーがつくくらいの、壮絶な雨男なのです。
記憶に古いのは小学6年時の修学旅行。すでに周囲に雨男ぶりがバレていたせいか、「雨男はあとしてよ」なんて、コントロールできないお願いをされながら、しっかり、出発の朝と、自由行動時間に雨を降らせた。自由行動に関しては、僕たちのグループが駅舎を出た瞬間に降り始めた。
そのころから、はっきりと雨男になった。新しい友達ができた日はいつも雨だったし、雨宿りしているときに知り合った女の子とお付き合いに発展したことも何度かありました。
初めてのデートも、グループデートも当然のように雨。初めて、友人たちと企画した京都旅行も雨。海デートは大雨。初めての引越の日なんて、その町としては、観測史上、初の竜巻。僕の母校の校庭で発生した竜巻は南下し、引越先のアパートの壁に木材を突き刺し、そのあと、ついでに大雨。沖縄に旅行する予定の朝には台風が訪れて旅客機の運行が中止になり、同行者だった当時の恋人は「もう、ほんまに!雨ばかり降らせて!」と激情して、荷物を地面に叩きつけて悔しさから泣き始め(本人は雷鳴のち土砂降り)、日程をずらしてどうにか沖縄旅行を終えて戻ってきた伊丹空港はまた雨。
初勤務の朝が雨。退職の日も雨。転職先の初日がやっぱり雨で、その次の会社だって、三日間、雨を降らせて、その会社で知り合った先輩に連れられての初の登山。やっぱり小雨。ことあるごとに豪雨。あるいは積雪。近年なら、兵庫県内の賃貸から同市の賃貸に引っ越した日だって、雨はやがて雪に変わり、年に一度か二度の積雪の日に。
あるお寺のご住職から与えられた試練としての登山、西日本最高峰の霊山、石鎚山に登山する日は四国入り直後に雨。
「やっぱり降るなー」
呆れ返る同行の者。そんなこと言ってもさ。はじまりはいつも雨。チャゲアス。終わりだって、きっと雨。雨、雨、雨。いまから晴れるよ!(←天気の子)なんて言えない。晴れないことが多いから。
しかし。
「それだけ引きが強いんですよ」と、前述のご住職。
「近代では、行事の日の雨って、どうしても疎まれてしまうんですが、本来、雨は甘露と言って、万物の生命の源。雨男は本来、重宝されたんですから」
ダムなんてなかった時代、渇水は生活に直結する事態でした。作物は育たないし、飲み水だってない。手を洗えない、清潔さを保てないと、病の原因にもなった。そのころには、雨男、雨女って、雨乞いの祈祷や儀式に重宝された。本来、雨を呼ぶ人はよろこばれ、どんな集落にもひとりは雨男、雨女が必要とされていた。
そう言えば、初めて、そのお寺の行事に参加することになったときも、前日まで、後に、西日本豪雨被害とされた、機関銃のような集中豪雨の三日間を経て、当日の朝にやっと晴れ間。
「かんばつの続く地域に滞在したら?」
「逆・天気の子(←逆・天気のおっさん)になれそう」
そんなこんなの、雨男である僕。のはずなのに。冒頭で話した美容師Sさん。
「あんたがこっちに来てから、雨が減った気がする。渇水もあんたのせいちゃうん(笑)?」
まったく、言いがかりも良いところです。
雨、雨、降れ降れ。とまでは思わないけれど、静かな雨の朝、雨の日はなかなか良いものです。雨音は不思議なくらい落ち着かせてくれる。出かける予定のない日なら、ですけどね、やっぱり。
photograph and words by billy.
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